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《満てん栄養士☆成功事例インタビュー》栄養士・食育アドバイザー宮島則子先生①【栄養士としての目覚め】

2015年09月29日
ショクライフでは17年間、管理栄養士・栄養士の転職/天職支援を行って参りました。その中でも『栄養士の働き方』コーナーは孤独な職場環境が多い栄養士・管理栄養士にとって、他の方々がどの様な仕事ぶりをしているのか?の参考になるコーナーとして長い間人気を博してきました。
この人気コーナーを更に充実させるべく、栄養士・管理栄養士として誇りを持ち「心を満たし」、そして「満てん(点)」がつけられる『天(てん)職』としての仕事に従事されている《満てん栄養士》の方々の「成功事例」を伺いながら誰もが《満てん栄養士》として活躍出来る『法則』や『ポイント』をお届けするコーナーを新設することとなりました。それが《満てん栄養士☆成功事例インタビュー》コーナーです。
第一回目のゲストは東京都の栄養職員として33年間、8箇所の学校で学校給食と食育に従事され、現在はフリーランスでNPO青果物健康推進協会顧問や食育アドバイザーとして活躍されている宮島則子先生をお迎えしてお届けいたします。
*今回の《満てん栄養士☆成功事例インタビュー》は学習院女子大の名誉教授であられ、流通やマーケティングがご専門の江口泰広氏をファシリテーターとしてお迎えし、弊社ショクライフコンサルタント麦島健生を交えた対談形式でのインタビューになっております。
◇ファシリテーター江口先生より・・・質問1
✲江口先生)
ショクライフ《満てん栄養士☆成功事例インタビュー》の最初のゲストとして、宮島先生にお話を伺いたいと思います。多数書籍を出版されている宮島先生の最新書籍(共著)となる、「四快のすすめ」という本についてまずお聞かせ下さい。こちらの本はどういうことから書かれたのでしょうか?また、この中で宮島先生はどの様なお考えを発信されてらっしゃるのしょうか?
✲宮島先生)
「四快のすすめ」の「四快(よんかい)」というのは、「快食・快眠・快便・快動」のことです。
この四快をしっかり体感している子供たちが現代では減っているということで、この四快が大切であることをお伝えするために書きました。
子供たちにとって何が幸せなのか。本来のあるべき子供たちの生活が、今の子供たちにきちんと確保されているのだろうかということをテーマに、それぞれの分野で活動されていた異業種の先生方の活動を一冊の本にしようということになったのです。
食だけでなく、医療については脳学者の神山潤先生、排便については日本トイレ研究所の加藤篤さん、運動については山梨大学の中村和彦先生、更にこれまで子供の記事を書いてこられましたルポライターの瀧井宏臣さんも交えて作成することになったんです。
トイレについては、本当に使用方法を知らない子供たちも多いんです。そういう状況で、学校での排便がなかなかできない。しかも、最近は夜遅く寝る子が増え、遅寝のために朝起きれない。朝起きれないために、朝ごはんが食べれない。当然、朝ごはんを抜けば身体の中の消化吸収システムの動きが悪くなります。さらに早起きが出来ないことで、トイレでゆっくり排便する時間もない。そうすると、学校で便意を催してもなかなかトイレに行きたいと言えない状況にも陥ります。男の子なんかは大便をするには、個室に入らないといけないため、冷やかされていじめにつながったりもするんですね。色々なことが悪循環になっている現状なんです。
そこで、まず、日本トイレ研究所では、そういったトイレにおける環境の改善として、街中にある公衆トイレの改善、東日本大震災でも課題に上がりましたが避難所のトイレの検討、内戦地区の子供たちのトイレの検討などを研究テーマにしたんです。
排便を例にとりましたが、様々な専門家がそれぞれの分野で検討していたものを、皆で共有して色々な方向から社会に発信していこうと、このような本を作成いたしました。
◇ファシリテーター江口先生より・・・質問2
✲江口先生)
学校栄養士として長年子供たちの心身の健康に関わってきた宮島先生の愛情がにじみ出ている内容なんですね。さて、そもそも宮島先生が「栄養士になろう」「栄養士の仕事に就こう」と思われたきっかけは何だったんですか?
✲宮島先生)
実は・・・親から、「嫁入り道具として、栄養士と教員免許は持っておきなさい」と言われて取ったんです。
ですから、卒業後は栄養士の仕事に就かなかったんですよ。日本が好景気になる時期でもあり、お給料が良くて、ボーナスが良くて、福利厚生もしっかりしている上に勤務時間が短いということを理由に損保会社に就職し、大手町のOLとして社長の秘書をしていました。
しばらくして結婚し、出産し、仕事も退職して主婦をしていた時、栄養士の仕事に就くきっかけがあったんです。当時住んでいた豊島区の区報をたまたま見ていたら、近所の小学校で学校給食栄養士の半年間の臨時アルバイト募集が掲載されていていたんです。あまりにも主婦業が暇だったもので、「受けてみるか」という気軽な気持ちで豊島区役所に試験を受けに行ったら採用されたというのが、学校栄養士になったきっかけでした。
◇はじめての「栄養士のお仕事」 その現場で衝撃的な出来事が・・・
一番初めに勤めた豊島区の小学校は、創立以来、栄養士が配置されたことのない学校で、調理師が給食を担っている学校でした。やりたい放題だったというか。衝撃的だったことは、配属初日に「明日からは枕もってきてください」と調理師さんに言われたことでした。
なぜ枕?と思ったんですよ。そしたら、まず、出勤してからすることと言えば、朝ドラを見て、お昼寝して、休憩して…。その頃は手作り給食が普及していなかったんですね。給食の料理内容は、近所のお肉屋さんに形成してもらったハンバーグやコロッケなどを焼いたり揚げたりするだけだったんです。調理方法も、オーブンも無かったため、揚げるか煮るかしかなく、汁物か揚げ物かという状況でした。
調理について一番驚いたことは、うま味調味料が当時の給食の1食に、かなり使用されていたことでした。小さなバケツ一杯分くらいでしょうか?こんなに?!こんなに入れるの?!とかなり驚きましたよ。さらに調理師さんからは「栄養士は調味料を計ることが仕事だよ」と言われて…
だいたい今から30年以上前でしょうか?給食は子供の為の食事ではなく、調理師の暇な時間を作るための給食でしかないんだなと痛感しました。
それでも、子供たちは給食が好きで、喜んで食べていたんです。その現状を見て、子供に本当に美味しい物を食べさせるためには、温かい物は温かく、冷たい物は冷たく、本来の料理の形態を維持しつつ、うま味調味料なども使わず、自然にだしをとって…手作りで美味しい物を作らないといけないと感じたんですね。私にも当時2歳の娘がおりまして、「自分の子供にこんな食事を食べさせたくない。なんとかしたい!」というのが原動力となりました。
◇栄養士としての目覚め!そして次へのステップ・・・
それから、アルバイトの身ではありましたが、調理師さんへ、より良い給食にするために様々な提案を続けました。何度も跳ね返されましたが、何度も何度もダメ元で提案し続けたんです。
そうしたら、少しずつ給食に対する意識は変わっていきました。そんな時、また転機がおとずれ、校長先生から「東京都の栄養士採用の試験があるから受けてみないか?」と申込書をもらったのです。
ろくな学生でなかった私が、必死に勉強したんですよ。東京都の試験当日は、なんと鉛筆の転がり具合が良く(笑)、50倍の倍率で東京都の栄養士試験に奇跡の合格をしたんです。何といっても校長先生の後押しがあったからだと感じています。
◇はじめての勤務先「荒川区」が自覚させてくれた『栄養士のお仕事』
荒川区で採用され初めての勤務先は、南千住の山谷にある小学校でした。当時は日雇いの人がたくさんいるような地域で簡易宿泊所が多くありました。小学校に行くために南千住の駅を降りると朝から人が横になっていたり、「ホームは端を歩くと、いつ押されて線路に落ちてしまうかわからないから中央を歩きなさい」と指導されたり、驚くような地域でした。今は綺麗になりましたけどね。
その当時、消費者金融が増えてきていた時期でもあり、山谷という地域は、お金を返せなくなってしまった家族が夜逃げをして来る地域でもあったんですね。なので、その地区の小学校でも、1学期の間に何人も地方から逃げてきた子供が転入してくるような状況でした。着の身着のままで逃げてきた家族も多く、ランドセルを持っていない子供もいるほどでした。
生活は厳しく、四畳半の部屋に7人から8人などで過ごさなくてはいけない子供たちもたくさんいる状況でした。両親も共働きで長時間業務を強いられており、子育てもままならないような状況でした。
そこで、子供にとっていかに給食が大切かを気づいたんですね。給食がいかに命を繋ぐ食事であるか。これまで、山谷地区の子供たちは、海外の食事はおろそか、おせち、節分、ひなまつりなどの日本の行事食、すなわち日本の食文化ですら全く縁の無い生活をしていたんです。
そんな子供たちが、今後を担っていく大人になっていくと思ったら、『少しでも食文化を経験してもらいたい』、『海外の食事を少しでも体験させたい』と感じたんですね。「給食」は、生涯を通じた人格形成の為の体験する学習となるのではないかと考えるようになったのでした。
そして、給食の改善に取り組んでいくうちに、地域、学校への信頼感が強まってきました。学業への意識も高まり、勉強しようとする子供たちが増えて来たんですね。教員が、給食指導(現在の食育ですね)を通してどんな教育ができるかを考えることで、指導力も上がってきたんです。学校での給食は、子供の生活全体を支える基盤になると実感しました。「給食力」それが、「学校力」の向上につながり、信頼につながる。そして、地域の活性につながる。給食はただ子供にご飯を食べさせているだけではなんだと痛感しました。
☆「宮島先生」の【第一部】はここまで・・・
【第一部】では、宮島先生の《満てん☆栄養士》活動がどんな経緯で始まったのか!?の部分をお届けしました!
栄養士免許自体は親御さんのすすめで嫁入り道具の1つとして取得した・・・というところからの出発だったことが驚きでしたね。
栄養士としては「暇すぎる主婦業の合間を埋めたい」がスタートのきっかけでしたが、実際の栄養士業務を通じてやがて自分の娘が食べる「学校給食」をより良いものにしていきたい!!という気持ちが芽生え、多くの子供たちの姿を通じて「食」の持つ力、可能性を見出し「学校力」(学校の持つ教育力)に連結させていくという飛躍を成し遂げました。
この後、【第二部】では《満てん☆栄養士》として結果を出し続けていくポイントについて。
【第三部】ではこれからの栄養士・管理栄養士に伝えたいこと受け継いでほしいことについて語られた内容をお届けします。
ご期待下さい!!