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《栄養士☆成功事例インタビュー》管理栄養士・和食伝承士 緋宮栞那さま②~Roots~

2015年11月26日


栄養士・成功事例インタビュー/管理栄養士、和食伝承士の緋宮栞那さまの【第二部】をお届けします。

改めて緋宮先生のプロフィールをご紹介します。

• きれい塾JAPAN CULTURE 株式会社 代表取締役社長
• 一般財団法人 ムスヒ財団 代表理事
• 一般財団法人 日本和食協会 理事
• 饗應離宮 隠れ家 館長
• 管理栄養士・日本食文化研究家
• 武士の食卓 和食伝承士 代表
• 饗応料理研究家

医療機関、各クリニックなどにて、管理栄養士・食養カウンセラーとして活動しています。
主に生活習慣病・摂食障害を専門に心と体の栄養指導を手がけ、一人ひとりの摂取できる栄養素はみな異なることから、その人にあった食事法を指導しています。

2015年5月より、和食を世界発信するために「武士の食卓・和食伝承士」資格認定講座を開講されました。

また、隠れ家「饗応離宮・本陣」にて、「武家の饗応膳・節供の会」、「MATSURIの会」、
「殿様の饗応の会」「英雄の会」などを開催し、日本の歴史・饗応文化を伝承しています。
世界で一番健康食と言われている江戸時代の日本食を総まとめし、「武士の食卓」と名付け、時代考証再現食として表現し、世界発信をしています。

※緋宮先生が世界に情報発信されている内容はこちらです※
↓↓
毎日、英文にて和食を世界発信→
*The Samurai Gourmet "武士の食卓" on Facebook*
https://www.facebook.com/thesamuraigourmet.jp/
現在 100万人突破しています!!

【第一部】では緋宮先生が今、一番力をいれている『和食伝承士』育成に注目して【和食】を未来に語り継ぐという栄養士・管理栄養士にとって新しい仕事領域に関わる内容でした。
【第二部】では緋宮先生がここまでに至る《Roots》について語っていただきました。ご期待下さい。

  • インタビューに応える緋宮先生

  • 武士の食卓 パンフレット

  • 緋宮先生と江口先生の対談

◇いじめ・不登校~望まない出来事が「自分の強み(読書力・文章力)」を開花させてくれた


✲ 緋宮先生)
実は私、高校生の時、いじめられて引きこもりだったんです。いろいろいじめられていたので、ずっと家に引きこもっていました。その時間は、何をしていたのかというと、本をたくさん読んでいました。時間を持て余し、やることが無いのでとにかく本ばっかり読んでいました。でも、ありがたいことに親は何も言わず、そんな私を認めてくれていました。

本ばかり読んでいて勉強していなかったので、あまり学校の成績は満足したものではありませんでした。大学進学も入れるのは、私立の文学部しかなくて・・・

入試の時の面接で本の感想を聞かれたのです。その場で全ての本の感想が言えたのです。本だけはかなり読んでましたから・・・それが良かったのか、ある大学の文学部に合格することが出来ました。


✲ 江口先生)
身長がモデル並みに高いから、ひがまれてたんでしょうね。
しかし、その時は悲劇だったかもしれないけど、その時に本を読みまくったことで本を読み解く力が身に付き、今の文章力の基礎になったのでしょうね。面白いことに、こうした望まない不条理な環境の中で長所が育まれることってあるんですよねぇ。

厳しい状況があって、自分ではどうしようもない時期かもしれないけど、その時に蓄えてきたことが将来の自分の糧になるということですね。

緋宮先生に出会ってからホームページや書籍を拝見させていただいて第一に「文章がしっかりしている」「この人は文章力あるなぁ」と感じたんです。こんなに上手な文章を書くのは素晴らしいと思っていたんですよ。その背景がそういう所にあって、大学の文学部でしっかり学ばれたからなんだと今、分かりました。感慨深いです・・・


✲ 緋宮先生)
ホームページもパンフレットも、出版物も、すべて自分が書いた文章です。和食伝承士講座での宿題も、古事記、大和言葉を調べ、勉強させたりもしてます。文学を通じて、時代の流れをみること、サムライを通して日本の文学を知ることを二本柱としています。

◇嫁として嫁ぐ条件が管理栄養士の取得


✲ 江口先生)
ところで・・・緋宮先生が管理栄養士を取ったきっかけはなんだったんですか?


✲ 緋宮先生)
金沢で郷土料理のお店を出している家にお嫁に行きました。そんな関係も影響し、いろいろあって、その後、資格を取りました。生きていくためにです。手に職をつけて生きていくためにがむしゃらに勉強しました。本当に大変でしたね。子供もいますし、生活もありますので。
本当に、よく働きましたよ。朝から晩まで、休みなく、、、。
若かったから、体力もありました。


✲ 江口先生)
成功事例インタビューの第一弾をお願いした宮島先生は「栄養士」の資格は嫁入り道具として親に勧められて取得したと仰っていました。自ら進んで取った資格では無いのにそれが天職になっていく。人生の不思議な面白さを感じたものでした。

緋宮先生も、もともとは大学の文学部国文科で学ばれながら結婚を機に「料理」そして「栄養士」の資格取得と繋がり、今ではそれを土台に様々な分野で活躍されていらっしゃる・・・
天職というのは自ら求めて獲得するというよりもその名の通り天から与えられるものなのかもしれませんね。

◇旅立ち~「武士の食卓」の誕生

✲ 緋宮先生)
42歳の時に、新規一転、とりつかれたように、和食の会、饗応の会、節句の会など四季折々の料理の提供するようになりました。しかし、結局金沢の人にしか提供していないと思ったんです。金沢の人に日本の文化や美味しい食事のお話をしても、金沢はもともと美味しい食事で、すばらしい文化があるところですので、当たり前なのです。だから、もっと多くの方にもお伝えしたいと感じました。もっと多くの方たちと、日本文化の素晴らしさを共有したいと思いました。

当時の金沢は、閉鎖的な環境で、自分の思うように仕事が出来ませんでした。ちょうど、一番苦しかった時期です。それでも、私の心の叫びは、先祖が育ててきた素晴らしい情報、歴史文化、日本の和心を多くの人たちに伝えていきたいと思っていました。そして、この素晴らしい文化を海外にも伝えて行きたいと思ったのです。

今、自分が東京に行って多くの人に伝えたい。と強く感じました。

急に、この考えが心に降りて来て、気づいたら東京に来ていました。そして、東京中のカルチャーセンターに片っ端から掛けあって、自分がどう言うことをしてきたのか説明して回ったんです。でも、どこの馬の骨かもわからない私を誰も採用してくれませんでした。そりゃそうですよね。

ただ、一校だけ、読売文化センターの恵比寿学校が拾ってくださって、そこで、お料理教室を始めさせてもらったんです。本当に感謝しています。そこから講座をもたせていただいたのが私の活動、「日本文化伝承」の始まりでした。

✲ 麦島コンサルタント)
熱意を持って活躍している方って、本当に共通の考え方ですね。がむしゃらにやってきた人って自然に実ってますよね。急にやるべきことが降ってくるとはよく聞きますよね。


✲ 江口先生)
降りてくるっていう感覚があるんですか?


✲ 緋宮先生)
和食を伝承する使命は、上から降りて来た感覚です。降りてきたという言葉が合っているのです。
講座の内容も、文章も、発信する企画も、「私の仕事の内容そのものが先祖からのメッセージ」だと思います。たぶん、これは普段、ずっと考えていたことが、ある時まとまって意識が下りてくるのだと思いますね。
しかし、、、しかしですよ、本当に感じることは、私が考えたわけではなく、本当に天から降りてくる感覚です。メッセージを受け取るような感覚、、、ですね。


✲ 江口先生)
第六感なんでしょうね。
では、武士の食卓をいうのをどうやって始めたんでしょうか?


✲ 緋宮先生)
東京に出て来ましたけど、どうしたらいいのだろうと途方に暮れていました。カルチャーセンターなどで、和食の食養効果をお話していましたが、食養っていう言葉自体、まだまだ人には知られていませんでした。いろいろ悩んだ末、本を出して広めていこうと考えました。そして、多くの出版社を訪ね歩きました。この足で歩いて、企画を出し、頭を下げて歩き回ったのです。しかし、どこの出版社も相手にしてくれませんでした。その時の惨めな悔しい思いは、今の私の励みになっています。もともと負けず嫌いなんですね。私は、、、。

そこで、そんな姿をPHPさんが見かねて「今、はやりのマクロビオティックで本を書くなら出してあげるけど、食材や写真代は自分で用意するように」ということで、出版を許可してくれました。

私は、有名なPHPさんで出させてもらえるならって、、、、。チャンスだと思いました。
でも、出版には最低100万円は必要でした。その出版費も全く無く、用意が出来なかったのです。そこで、絶対頭を下げたくない兄に頭を下げて、お金を借りました。なかなか兄弟にお金を借りることはできませんよね。本当に惨めで自分が嫌になりました。

でもそこまでやった甲斐があって、マクロビオティックが人気出ている状況だったので、本が売れたのです。また、PHPが生協で売ってくれたこともあり、おかげさまで売れ行きが良かったのです。

1冊出すことが出来た!一点突破です!!しかもPHPさんから・・・
それが功を奏して、年に2冊くらいずつ本を出させてもらえる程になりました。これを足がかりに「武士の食卓」の企画を立ち上げました。

先祖が、加賀前田家の料理番だったということもあり、先祖の思いを引き継いで、武士の食卓を立ち上げました。私のDNAが騒いだのだと思います!でも、、、料理人と言っても、身分は高くはなく、本当に貧しい武士だったようです。

☆緋宮先生の【第二部】はここまで・・・


【第二部】のテーマはRootsでした。
管理栄養士としてのRoots、文章力のRoots、「武士の食卓」のRoots・・・etc
いかがでしたでしょうか?

この対談の中から感じたことがきっと今の自分自身に必要なテーマなのだと思います。それが皆さんの栄養士Lifeを豊かにするものになることをショクライフは願っております。

【第三部】は『女の道は一本道~一途に未来のために、今に責任を持つということ』と題していお届けします。ご期待下さい。