ショクライフTOP > 栄養士の働き方 > 《栄養士☆成功事例インタビュー》管理栄養士 杉本恵子さま “あなた(栄養士)自身”が【健康の発信基地(ヘルシーピット)!!】第一部
《栄養士☆成功事例インタビュー》管理栄養士 杉本恵子さま “あなた(栄養士)自身”が【健康の発信基地(ヘルシーピット)!!】第一部
2016年07月29日
“あなた(栄養士)自身”が【健康の発信基地(ヘルシーピット)!!】
~栄養士の仕事がしたくなくて入社した『百貨店』が教えてくれた「栄養士が必要とされる領域」と「活躍できる自分の磨き方」(第一部)~
栄養士☆成功事例インタビュー第4回目は株式会社ヘルシーピット代表取締役社長の杉本恵子さんにご登場いただきます。杉本先生はお父様の薦めもあって「栄養士」を目指すものの学生時代に体験した実習や栄養士の働く現場の雰囲気を垣間見て、「栄養士の仕事には就きたくない」と考えるようになりました。そして、学生時代に経験した百貨店でのお仕事に魅力を感じたことも合わさって、小田急百貨店に入社されました。栄養士の仕事がしたくなくて、栄養士の現場とはかけ離れた職場と思っていた百貨店で待っていたのは《人事部》での栄養士業務でした・・・
全く予期していなかった百貨店での栄養士業務。しかし、そこで「栄養士の仕事」の本質に出会い、やがて日本の百貨店では初となる「健康プラザ」という売り場を生み出し、軌道にのせる活躍を果たして行きます。
売り場で出会うお客様は皆さんにとって、「食生活」がその人の心とカラダの健康を支えているという事実は変わらない。そこで栄養士の社会的な役割の大きさに気がつくもののその大きな役割を果たせる仕事がけして多くはない現実・・・
百貨店での仕事を通して「こんなサービスがあったら良いのに」を原点に「サービス」を生み出してきた杉本先生。「世の中に無いなら私が創れば良い!」その発想の延長線上に【ヘルシーピット】=「健康の発信基地」となる会社の設立がありました。
杉本先生のキャリアを紐解くと、「食と健康の本質」「栄養士の社会的に大きな役割」「栄養士が十分に活躍できていない現実」「栄養士に足りないもの」「世の中に必要なのに存在しないサービス」・・・などなど
栄養士として働く上で切っても切り離せない「大切なこと」が次々と登場してきます。そして、「何が大切なのか?」「何で大切なのか?」のヒントを与えてくれるのです。
読者の皆さんが今、抱えているであろう「食」や「職」に関する「問いかけ」。杉本先生のこのインタビュー記事には「答え」を導き出す「ヒント」が満載です!ご期待下さい。
まずは杉本先生の簡単なプロフィールをご紹介します。
・相模女子大学食物科を卒業後、大手百貨店の健康管理室に勤務。
・栄養士として従業員の栄養相談・食事指導をしながら「健康プラザ」という売場づくりを成功へと導く。
・1991年、株式会社ヘルシーピットを設立し代表取締役に就任。
・「食事」「運動」「休養」の3点から、1人ひとりに適した健康づくりを提唱し実践している。
・その活動は、企業・健康保険組合が行う社員の健康づくりのコンサルティングやサポートを中心に、出版・新聞・雑誌などの執筆活動、全国各地での講演活動、ラジオ・テレビ出演など多岐にわたり活躍中。
・その中でも、誰でもが簡単に毎日実行できる栄養バランスのとり方を分りやすく解説した「杉本恵子の食材5色バランス健康法」が多くの方々から支持を獲得。
・また、健康で明るく生き生きと生活できる社会を目指し、全国の管理栄養士・栄養士の育成活動を推進している。日本クリエイティブダイエティシャン協会を設立し栄養士再教育をスタートしている。
ショクライフコンサルタントの麦島と語らう杉本先生
3名のだんらん!
江口先生の解説にほっこり顔の杉本先生
◇栄養士を目指してみたけれど・・・
※今回も学習院女子大名誉教授の江口泰広氏とショクライフコンサルタント麦島健生との対談形式でインタビューを行いました。臨場感を大切にお届けしたいと考え、対談形式の構成となっております。〈編集部〉
江口先生:
杉本先生が栄養士になろうと思った経緯についてお聞かせ下さい。
杉本先生:
私はもともと某女子大付属の小学校に通っていたのですが、締め付けられているような教育があまり合わなくて、相模女子大の付属高校に行くことにしました。そして、そのまま相模女子大の食物科に進学しました。
もともとは、学校の先生になりたかったのですが・・・。父に相談したところ、「これまで受験を経験したことの無いあなたには受験をする学生達を教える事はできない。受験前に不安定になる時期をあなた自身が体験していないんだから。」と言われ、更に「あなたは、女性だし、一生涯『食事に関わるのだから』管理栄養士コースのある相模女子大にそのまま進んでみてはどうなの?」と薦められました。「生涯必要になる『食べること』『命をつないで行くこと』について学ぶことはその先のことも考えるととても重要なことだと思うよ。」と言われたのです。
そこで、不思議と「そっか」と納得して進学したわけです。
楽しみにして大学に行ってみたものの・・・「えっ、栄養士の仕事ってこんな感じなの?!」「栄養士の仕事場がこんな感じなら栄養士にはなりたくないな」となってしまったのです。
一番のきっかけは、実習に行った時でした。当時、『小学校』『保健所』『病院』『工場』の実習に2週間ずつ行く機会がありました。その、現場で当時の私は《栄養士って暗い人ばかりだなぁ》と感じてしまい、「絶対栄養士になんかなるものか」と決心してしまったのです。今、振り返って思い出してみると、『教え方』『伝え方』『コミュニケーション』が出来ない人たち(学んだり、自ら磨いたりして来なかった人たち)だったのかもしれないのですが・・・。
◇栄養士の仕事がしたくなくて入った百貨店なのに~人事部の栄養士として
杉本先生:
そんなこともありまして、もともと人と触れ合うのが好きな性格でしたので伊勢丹の『SSレディ』(土日だけの女子大生のアルバイトのこと)のアルバイトを始めました。
伊勢丹の制服を着て仕事をするものですから、筆記試験も面接もあり、徹底的に社員教育をされました。そこで、客商売の楽しさを知り、接客を通して色々学びました。お客様が、「あなたに勧められたスカート良かったわよ。」とか「プレゼントしたら喜ばれたので、また買いに来たわ」などと声をかけてくださるんですね。とても楽しくて充実した時間を過ごしました。
ところがある時、社員教育担当の方に、「あなたはいくら売り上げるの?」と聞かれたのです。「いくら売るってなんだろ?」と思い「5,000円くらいでしょうか?」と回答したところ、「5,000円じゃ、あなたの
お給料分の利益が出ないからあなたは要らない」と言われました。
「え、何言ってるのこの人?!私、アルバイトなのに?!どうして?」と思っていたら・・・
「あなた方のお給料を払って行くには、一人が自分の給料の3倍以上を売り上げてもらう必要があります。だから、そのくらい働いてもらわないと雇っている意義がないですよね!」と言って、接客方法やトークなどの教育を徹底的に受けました。
「ありがとうございました。またどうぞお待ち申し上げます」などの言葉は、伊勢丹時代に教育され身に付いていているので、今でも自然と口からでてきます。その度に「教育」ってすごいなと思います。その様な経験を積んだ事もあり、私はその後小田急百貨店に入社しました。ところが、その配属先が『人事部』だったのです・・・
何で新入社員の私が人事部に配属なのか?と申しますと、たまたま3月31日で人事部にいた栄養士の方が辞めた関係で、新入社員で『栄養士』資格を持っている私がその方の代わりに配属されたそうなのです。
江口先生:
『人事部』で『栄養士』を採用するというのはどういうことなのですか?
杉本先生:
当時の小田急百貨店には社員寮が3つありました。その社員寮の食事管理に栄養士資格を持った社員が必要だったわけです。社員寮には調理員さんもいて、寮のメニューを作ることや調理員さんとの接点を持って食事管理をしていくことが人事部の栄養士の仕事の一つでした。
入社後すぐに、人事部の部長に「君は栄養士だから、栄養士の仕事だね」と告げられて「え、栄養士の仕事したくなくてここに来たのに」「一目散に辞めてやろう!」と正直本気で考えていました。しかし、せっかくだから百貨店の様子でも知ってからにしようと考え、まずは仕事にすることにしました。
就職してから、2週間後くらいでしょうか?調理員さんへの挨拶まわりをしていた頃のことでした。
寮には2人ずつ調理員さんが配置されていました。皆さん社員なので週休2日ですから、その2日間を担当する調理員さんが他に2人居ました。合計8名で1週間を担当する様にシフトが組まれているのです。
ところが、1つの寮で誰も食事を作る人がいなくなってしまったのです。上司から呼ばれて、「寮で調理員さんが休んでしまっていて、代わりに食事作って来て欲しい」と言うのです。その瞬間は意味が全く分からず「ホントに?え、この人何を言っているの??」と思ってしまいました。
一同:笑
杉本先生:
「私が行って料理を作ったところで、美味しい食事なんて作れないのにな・・・」と思いましたが、とりあえず、上司に「作りに行け」と言われてしまったので、仕方なく行くことにしました。
まともな大量調理の経験の無い私には、回転釜の使い方も自動炊飯機の使い方も分かりません。寮長に、「ご飯の炊き方が分からないのですが・・・」と聞いても「あなた栄養士でしょ?ご飯の炊き方もわからないの?!」とか言われてしまい、色々言い返したいことはありましたけど、「どうにかするしかないな」と考え、切り替えることにしました。
冷蔵庫を見たら、豚肉とジャガイモがあったので、『カレーだ!』と思って作ってみることにしました!実際は『100人前のカレーのジャガイモは何個だ?』『カレー粉はどのタイミングで入れる?』『カレー粉入れても入れても固まらない!どうしよう~』などなど・・・ありまして結局、本当に美味しくない水みたいなカレーが出来ました。
でも、そんなカレーを「美味しい」「美味しい」って食べてくださって・・・
食器を洗って1日を終えた時には午前1時くらいでした。
その日を終えて「美味しかったよ」とか、「杉ちゃんいてご飯が食べれたよ」とか、「ありがとうね!」とか言ってもらえる栄養士の仕事って良いかも!と思った記念すべき一日になりました。
調理員さんたちともいつしか仲良くなり、何でも相談して、色々教えていただいて、とても勉強になりました。今の栄養士と話をしていると「調理員さんが作ってくれない」とか色々相談を受けますが、栄養士は一般の社会人と比べて『コミュニケーション』についての教育や訓練をされて来ていないと思います。そういう意味で私は学生時代から百貨店のお仕事で『コミュニケーション』の基礎を訓練出来たのは後の会社設立に向けても大きく役立ちました。
☆杉本先生の(第一部)はここまで・・・
(第一部)では杉本先生がお父様の薦めから栄養士を志すも実習などで「絶対この仕事には就かない」と決心した経緯。から「栄養士の仕事がしたくなくて入った百貨店でまさかの『栄養士』の配属」そしてそんな配属先で「栄養士の仕事って良いかも」と感じた出来事について伺いました。
この先、係長への昇進試験がきっかけとなって杉本先生の中で大きな意識の変化と栄養士としての具体的な動きがスタートします。栄養士としての役割の大きさ仕事領域の広さについて色々と気付かされる内容が満載です。
ご期待下さい。