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《栄養士☆成功事例インタビュー》管理栄養士 杉本恵子さま “あなた(栄養士)自身”が【健康の発信基地(ヘルシーピット)!!】第二部

2016年08月05日

“あなた(栄養士)自身”が【健康の発信基地(ヘルシーピット)!!】
~栄養士の仕事がしたくなくて入社した『百貨店』が教えてくれた「栄養士が必要とされる領域」と「活躍できる自分の磨き方」(第二部)~

栄養士☆成功事例インタビュー第4回目は株式会社ヘルシーピット代表取締役社長の杉本恵子さんです。第一部では杉本先生がお父様の薦めで「栄養士」を目指すものの学生時代に体験した実習や栄養士の働く現場の雰囲気を垣間見て、「栄養士の仕事には就きたくない」と考えるようになり、栄養士の仕事がしたくなくて、入社した百貨店で待っていたのは《人事部》での栄養士業務についてお届けしました。しかし、そこで「栄養士の仕事」の本質に出会い、「栄養士の仕事も良いかな」と思い始めます。

その後、日本の百貨店では初となる「健康プラザ」という売り場を生み出し、軌道にのせる活躍を果たして行く杉本先生。その大きな一歩になったのは27歳の時に訪れた『係長昇進試験』でした。

第二部では杉本先生が『係長昇進試験』をきっかけに「百貨店だからこそ『栄養士』が活躍出来る」と考え、具体的に動き出し、とうとう日本の百貨店で初となる『健康プラザ』という売り場を生み出していく部分のお話になります。ご期待下さい!


改めて杉本先生のプロフィールを確認しておきましょう。


・相模女子大学食物科を卒業後、大手百貨店の健康管理室に勤務。
・栄養士として従業員の栄養相談・食事指導をしながら「健康プラザ」という売場づくりを成功へと導く。
・1991年、株式会社ヘルシーピットを設立し代表取締役に就任。
・「食事」「運動」「休養」の3点から、1人ひとりに適した健康づくりを提唱し実践している。
・その活動は、企業・健康保険組合が行う社員の健康づくりのコンサルティングやサポートを中心に、出版・新聞・雑誌などの執筆活動、全国各地での講演活動、ラジオ・テレビ出演など多岐にわたり活躍中。
・その中でも、誰でもが簡単に毎日実行できる栄養バランスのとり方を分りやすく解説した「杉本恵子の食材5色バランス健康法」が多くの方々から支持を獲得。
・また、健康で明るく生き生きと生活できる社会を目指し、全国の管理栄養士・栄養士の育成活動を推進している。日本クリエイティブダイエティシャン協会を設立し栄養士再教育をスタートしている。

  • 栄養士の可能性を笑顔で語る杉本先生!

  • 3名のだんらん♪

  • 江口先生によるキレの良い分析を聞き入る杉本先生♬

◇係長昇進試験で評価された栄養士的販売戦略レポート

※今回も学習院女子大名誉教授の江口泰広氏とショクライフコンサルタント麦島健生との対談形式でインタビューを行いました。臨場感を大切にお届けしたいと考え、対談形式の構成となっております。〈編集部〉


杉本先生:
27歳くらいの時に係長への昇進試験がありました。
テーマは『百貨店生き残りの販売戦略レポート』です。当時の私は、健康管理室に居まして、主に従業員の健康管理(健康診断後の栄養指導など)を担当していました。ですから『百貨店生き残りの販売戦略レポート』と言われても、実際に売り場に立っているわけでは無いですから、どんな事を書いて良いのか?見当もつなかい状態でした。

いつも仕事で思い描いていたのは「とにかく、社員には健康でいてもらいたい。現場で売上を作っている社員が健康で元気なら売上が落ちてマイナスを出すことも無いはず」と言うことでした。また、「お客様を健康にできる健康百貨店を作ったらどうだろう?」とも考えたりしていました。そんな売り場が出来て、売上が上がったら自分の給料も上がるかな?みたいな発想ではありましたが(笑)。今の健康経営を25年前に考えていたという事ですね。

そこで、ふと「この会社に栄養士は何人くらいいるのだろう?」と思い、人事部でしたので、すぐに調べてみたところ、何と30人もいたんです!!栄養士の仕事がしたくないのに、人事部で栄養士をしている私と違って、『栄養士をしたい』のに『販売』をしている人が《紳士服売り場》や《子供服売り場》、《食品売り場》などにもいっぱいいました。

そのことが分かると頭の中で次々と「こんな売り場が作れるのでは?」とアイディアが浮かんできたのです。

例えば『イージーオーダーのところに栄養士がいたら、サイズの変化でお客様の体調の変化が分かるので、相談に乗ることが出来るのでは?』『栄養士の名札をつけていれば、嫌味にならず、お客様が希望する「着たい服」の為に、体調管理のお手伝いと組み合わせた営業ができるのでは?』という感じに・・・

『アトピーのお子さんをお連れになったお母さんがいらっしゃったら「栄養士」として食生活や生活環境の改善などにも相談に乗ることができるのでは?』という様な発想で、実際に売り場で働いている「栄養士」の資格を生かすことが「売上を伸ばす販売戦略になる」ということを『百貨店生き残りの販売戦略レポート』に書いてみたのです。

たまたま当時の社長が実際に体調を崩されていて、体調管理が大切だということを実感されていたことから私のレポートが目に留まり、何と、昇格してしまったのです!!更に、小田急グループと関係が強かった東京医大で1年間研修に行くことにもなったのです。

◇「健康プラザ」の立ち上げ~確信と評価のギャップの中で生まれた「起業」への思い

江口先生:
学生時代からの百貨店での売り場経験と人事部の一員として取り組んできた栄養士業務が掛け合わさって生まれた発想ですね!売り場だけの経験、栄養士だけの経験ではこの掛け算の発想は生まれなかったかもしれませんね。

学生時代に「栄養士の仕事には就きたくない!」と思って、自分の好きな華やかな百貨店のアルバイトをはじめた事がここに来てこの様な化学反応を起こすとは思いもしませんでしたね。


杉本先生:
本当にそう思います。

でも、どうして?何のために?東京医大で研修が必要なの?と最初は正直思いました。
今でも小田急百貨店にある《百貨店初のプロジェクト》『お客様の健康を考える売り場:健康プラザ』を具体的に実現させるには『栄養士が必要だ』と経営陣が考える様になったのには私のレポートがきっかけだったと思います。ところが、その発想を持った栄養士が全く臨床経験のない栄養士だったために会社としては「勉強をしてきなさい」と言う意味を込めて、東京医大での研修を決めた様です。

東京医大での研修は初めて本格的に「大量調理」をするところから始まりました。まさか自分が大量調理用の回転釜を使いこなして「病院食」を作るようになるとは・・・感慨深いものがありました(笑)

そして1年間で栄養士としての基本姿勢(患者さんとの接し方やマナーなど)や論文の読み方からはじまり、栄養指導の根本について学ぶことが出来ました。「病気の方々には上から目線の指導ではなく、同じ目線に立ち、効果があると思われる栄養の改善で具体的な支援を施す必要がある」ということを実地で学ぶことが出来たのは今でも大きな財産になっています。
そうして、1年後百貨店に戻り人事部係長に就任しました。


麦島コンサルタント:
充実の1年間を過ごされたことと思います。百貨店に戻られて最初のお仕事はどの様な内容だったのでしょうか?


杉本先生:
当初、人事部の係長でありながら売り場に立つという二重配置だったのですが、売り場にしっかり集中したかったので二重配置を止めてもらい、入社からの念願がやっと叶って入社6年目にしてやっと売り場に立つことができました。

そして、売り場に立つことで『お客様が栄養士に会いたがっている』という現実に直面したのです!!
当時は栄養士に会いたいと思っても「病院」や「保健所」、「学校給食の現場」くらいしか思いつかないわけですね。そうした所にはなかなか行く機会も無いし・・・行きたくないし・・・どうしたら栄養士さんと話ができるのか?そのことについては一般の方々は見当もつかない時代でしたね。

ところが、小田急百貨店の『健康プラザ』という売り場には栄養士が立っているわけですよ。お客様から「ブラウスとかスカートを売っているところに、栄養士さんが居てくれて有り難い」と言われた時はすごく嬉しかったですね。お客様は百貨店に買い物へ来て、色々と見たり選んだりする中で体型のことや自分や家族の健康管理についても一緒に考えていたということが見えてきたのです。そうした悩みが買い物をしながら解消できる・・・そのことが「栄養士さんが売り場にいてくれてよかったわ~」と言う声になって私の耳に入ってきたわけです。

こうした、『お客様の声』を『自信』にして日本の百貨店では初めてとなる『健康プラザ』という売り場を切り盛りしました。そして、そこには栄養士だけでなく、たくさんの専門職の社員を配置しました。


江口先生:
因みに、「健康プラザ」には何人ぐらいの専門職の方を配置されたのですか?


杉本先生:
管理栄養士、栄養士、薬剤師、スポーツインストラクターなどを含めて20人程度でしょうか。
販売の現場に専門職の方々を配置して、分かったことがありました。それは、『専門職の人たちはコミュニケーション能力が低い』ということです。

言い方を変えると『コミュニケーションの上手なとり方を学んでいない』ということです。自分の専門分野を高めるのに『コミュニケーション能力の高さ』が必要だと誰も教えてくれなかったのでしょうね。専門職の教育現場の問題点でもありますが・・・知らなければ教えてくれるはずありませんよね。

それはさておき、そのままでは商品は売れません。私は、各専門職の人たちを集めて研修会を開始しました。伊勢丹の時に徹底して指導されたことが何とここで指導者として活かされていくとは思ってもいませんでしたが(笑)

「あなたのお給料を出すためには、いただいているお給料の3倍の売り上げがないとあなたのお給料はでません。あなたが売り場にいる意味を示すには商品を売り、それだけの売り上げを上げないとならない!!」と言ってハッパをかけて研修しました(笑)。

専門職の人たちは資格を取っているくらいなので、基本的に頭は良いです。研修会で自分が何をすれば良いのか?が分かると、後は売り上げが倍々に上がって行きました!!本当に面白かったです。

それでも、私達の売り上げは新宿の土地(1坪25万円)からするとまだまだでした・・・
そのことで当時の課長からよく叱られて、大喧嘩もしました。そして、その度に思っていました。
「確かに今の売上では会社にとって十分な売り上げでは無い」
「課長は会社を1歩でればただのおじさんじゃない。私は世の中に役立つ会社を作る!社長になる!
世の中こんなに栄養士を必要としている。きっと近い将来、栄養士でビジネスが成り立つ時が来る。
いつかきっと、栄養士を使ったビジネスを考える!」
という具合でした。鼻っ柱は強いのです(笑)でも、私は当時から確信していました。そして、ずっと考えていました。こんなに、真面目に頑張っている栄養士さんが着目されないわけはないと。

栄養士が時代や世の中から必要とされる時代は何年後、何十年後かわからないけど、絶対に来るという確信がその時からありました。ヘルシーピットが設立された25年前の私の考えです。株式会社ヘルシーピット、『健康の発信基地』です。発信するのは栄養士達です。

その時の確信が現実になって、いざ「基地はでき、発信活躍出来る栄養士が必要だ!」と思った時に必要な人材が育っていないと困ります。コミニューケ―ションの能力が高く、相手の話がきけて、上から目線ではない、明るく、栄養士の仕事を心のそこから楽しむスタッフが重要です。そのための再教育機関として日本クリエイティブダイエティシャン協会を設立しました。


☆杉本先生の(第二部)はここまで・・・

(第二部)では杉本先生が係長昇進試験で書いた『百貨店生き残りの販売戦略レポート』がきっかけとなり「健康プラザ」の実現が現実となっていく内容についてお届けしました。ここにも「栄養士としての成長」と「ビジネスチャンス」の【種】がどんなところに転がっているのか?という教訓がたくさんありました。

その時は杉本先生ご自身もそこにそんな【種】があったことには気がついていなかったのかもしれません。しかし、たくさんの先輩栄養士の方々が残して下さった軌跡にはこれから進む者にとってはとても貴重な「教え」がたくさん存在するということは良く分かります。

次回、第三部では『その時』の為に作った会社でどの様な取り組みをしてきたか?そして、今現在何に挑戦されているのか?について伺って行きます。

ご期待下さい。