ショクライフTOP > 栄養士の働き方 > 《栄養士✩成功事例インタビュー》栄養士 FCJ認定フードコーディネーター 若宮寿子さま 【「食」を「職」にする幸せ。栄養士という仕事に誇りを!】 ~「食」に携わるようになったきっかけとは(第一部)~

《栄養士✩成功事例インタビュー》栄養士 FCJ認定フードコーディネーター 若宮寿子さま 【「食」を「職」にする幸せ。栄養士という仕事に誇りを!】 ~「食」に携わるようになったきっかけとは(第一部)~

2017年02月03日

栄養士✩成功事例インタビューの第6回目は、栄養士であり、FCJ認定フードコーディネーター/米国NSF HACCP9000コーディネーターの若宮寿子さんにご登場いただきます。
現在、数々のテレビ番組に出演されている他、書籍の出版や新聞・雑誌等での連載など、じつに幅広くさまざまなメディアで活躍されている若宮さん。栄養士を目指している方であれば、たいていどこかでそのお顔やお名前を見たり聞いたりしたことがあると思います。
もちろんメディアへの出演といった派手な活動ばかりではありません。大手企業での栄養指導やレシピ開発など、栄養士としての地道な仕事も着実に積み上げてきた若宮さんの八面六臂の活躍ぶりに、憧れを抱いている人も少なくはないでしょう。いまや栄養士の第一人者ともいえる若宮さんのことを、“業界の重鎮”と呼ぶ声もありますが、今回はそんな業界の重鎮をお迎えして、そもそも若宮さんがどういうきっかけで「食」に携わるようになったのか、から始まり、いかにして現在のような売れっ子になるまでに至ったのか、その道のりを、余すところなく聞いていきます。

今でこそ業界の重鎮と呼ばれる若宮さんにも、当然ながら駆け出しの時代はありました。そこから今に至るまでの若宮さんの経歴、そして、その時々にどんなことを思い、何をしてきたのか。そこには、“成功するための条件”が隠されている、といっても過言ではないでしょう。現在栄養士を目指している、という人はもちろんのこと、すでに栄養士として仕事をされている人でも、いまの仕事にやりがいを見いだせない、あるいは、栄養士という仕事を続けるかどうか迷っている、といった人たちにもきっと、何かしらのヒントを与えてくれるはずです。
さらに、若宮さんは出産と子育てのため家庭に入り、社会と隔離していた期間も経ています。にも関わらず見事に社会復帰を果たしたどころか、より一層活動の幅を広げていった若宮さんの半生は、もしいま現在、仕事をとるか出産をとるか、で迷っているような人がいたとしたら、必ずや勇気をもらえることうけあいです。どうぞじっくりとお読みください。

※今回も学習院女子大学名誉教授の江口泰広氏とショクライフ麦島健生との対談形式でインタビューを行いました。臨場感を大切にお届けしたいと考え、対談形式の構成となっております。

  • 若宮先生の著書です♫

  • 当時のお話を感情豊かに語って下さる表情が印象的です!

  • 聞き手も引き込まれる興味深い内容でした!

【1】

江口先生:
そもそも、若宮さんが「食」に携わるようになったきっかけは何ですか?

若宮さん:
もともと私は絵が好きだったんです。いとこに画家がいて、小学生の頃から一緒に写生に行ったりしていました。だから、ほんとうは美大に行きたかったんですね。でも、受験のための勉強をはじめて、いざフタを開けたら、美大を目指す人たちのレベルがあまりに素晴らしすぎてビックリ! これは逆立ちしても無理だ、と。自分の力でどうこうできるものではない、ということに気がついてしまいまして。そんなとき、友達のお姉さんが栄養士の試験を受けた、って聞いたんです。栄養士について詳しくは知りませんでしたけど、学校の給食室に栄養士がいたから、まあ、ああゆう仕事なんだな、って。食べることはきらいじゃないから、じゃあいいか、ぐらいの軽い気持ちで、栄養士の学校に入ったんです。

江口先生:
その学校というのは?

若宮さん:
山脇学園女子短期大学です。今は残念ながら短大がなくなってしまったんですが、当時は短大まであって、栄養士の国家試験がとれたんです。でも、同級生で本格的に仕事をしようという人はいなくて、どちらかというと花嫁修業的な学校でしたね。

江口先生:
お嬢様学校ですよね。

若宮さん:
ええ、父が好きな学校でした。小さい頃から山脇のお嬢さんに憧れを持っていたようで(笑)。そんなお嬢さんたちが花嫁修業の一つとして料理を習いに来るような学校だったんですが、私は高校のときの経験から、資格を活かして仕事をしたい、という思いを持っていました。私は自分の個性や実力で勝負するタイプではない。だったら資格をとって、その資格を活かせるような仕事をしよう、と考えていたんです。そのことは先生にも伝えていました。

江口先生:
若宮さん1人だけ、他の生徒とは違っていたわけですね。

若宮さん:
そうなんです。あるとき、みんなの前で先生が、「この中で栄養士になろうと思っている人は手を挙げて」と仰ったので、私、元気よく「ハイ!」って手を挙げたんです。そしたら、手を挙げたのは私1人だけ。他の皆さんはどうぞ、どうぞ、って、まるでダチョウ倶楽部さんのギャクみたいですね(笑)。

江口先生:
ハハハ。でも、それは本心だったわけでしょ?

【2】

若宮さん:
はい。ウソじゃなくて本当に栄養士になろうと思っていましたし、父からも「とった資格は活かせ」と言われていましたから。で、そのことが指導の先生に伝わり、後日呼び出されて、「ここへ行きなさい」と紹介されたのが、ホテルオークラのヘルスクラブです。そこはVIPが使う会員制のヘルスクラブでしたから、VIPに向けた栄養指導なんかの実習をさせていただきました。そこで栄養士としての“20年後のビジョン”を見せてもらったんです。

江口先生:
ほう、それはどんなものですか?

若宮さん:
そのときはさらっと見ただけで具体的ではないんですが、とにかく、三角巾に長靴を履かなくても栄養士はやっていける、ということが強く心に響きまして。私、それがあったから、今まで栄養士としてやって来れたんじゃないか、と、今振り返ってみて思います。それぐらい私にとっては大きなものでした。

江口先生:
もしかしたら、そこがターニングポイントだった?

若宮さん:
そうかもしれませんね。それがなかったら、恐らく途中で挫折していたでしょうから。

江口先生:
そこにはどれぐらいの期間いたんですか?

若宮さん
当時はまだ学生でしたから、夏休みを利用して通うようなかんじで、期間としてはいくらでもなかったんですが、色んなことをみっちりと教えてもらいましたね。その後、学校を卒業してからは、新宿区にあった写真会社に就職して9年間、お世話になりました。

【3】

江口先生:
何という会社ですか?

若宮さん:
「オリエンタル写真工業」(現 サイバーグラフィックス株式会社)という、日本で一番古い、印画紙等、総合写真感光材料をつくる会社です。昔は写真学校も併設、NHK連続テレビ小説「なっちゃんの写真館」の主人公が卒業したことでも有名な歴史ある会社でしたね。当時、給食の管理は総務部直営だったので、総務部に所属。工場が昼夜操業のため朝昼晩の給食を管理をしていました。あと、敷地が4千坪もある大きな会社で、敷地内に病院も持っていたので、そこでも栄養指導の相談を受けていました。ちょうどその当時の社長さんが生活習慣病予防を望まれていて私はホテルオークラでの経験のおかげで、VIPの食生活というものを十分把握していましたから。そうこうするうち、診療所の先生から、「VIPだけじゃなくて、普通の社員の栄養指導もしてみない?」という話になって、午前中はみっちり現場の調理、午後からは栄養事務と、日にちを決めて診療所の先生とタイアップして社員の栄養指導。つまり、9年間で“給食管理”と“病態栄養”の両方を実践できた、というわけです。

江口先生:
なるほど、貴重な経験ができた9年間だった、ということですね。

若宮さん:
そう思います。今だったらできないことですものね。それに、一般の会社だったので、仕事終わりにはお花やお茶なんかのお稽古事のクラブがあって、私は草月流のお免状まで取れちゃいました(笑)。

江口先生:
ハハハ、しっかり会社員やってたんですね。

若宮さん:
そうなんです。普通のOLと同じような時間で働きながら、料理は現場の料理長にみっちり仕込まれ、診療所でも色々な勉強をさせてもらって、ほんとうにお得感がありましたよね、今にして思えば。

江口先生:
そうはいっても、良いことばかりではなく、辛いことや苦労されたこともあったでしょう。次回はそのへんのお話も聞かせてください

【4】

若宮さんの(第一部)はここまで・・・
小さい頃から絵が好きで、美大を目指していた若宮さん。しかし、自分の力の限界に気づき、栄養士へと方向転換、山脇学園女子短期大学(当時)へ入学します。自分の力でどうこうするよりも、資格をとって、資格を活かせる仕事をしよう、と考えたのです。
ところが、栄養士の資格をとるために入った学校なのに、友人で栄養士になろうと思う人は若宮さんただ1人。同級生のほとんどは、花嫁修業で来ているような雰囲気の中、若宮さんは「栄養士になりたい」という意思を表明したのが功を奏し、在学中にVIP向けの栄養指導を実習できるという機会に恵まれます。また、そこでは結果的に若宮さんのその後の支えとなった、“20年後のビジョン”にも出会えました。
さらに、卒業後に就職した会社では、“給食管理”と“病態栄養”の両方を実践できるという、大変貴重な経験を積むことができました。
ここまでは順風満帆ともいえる若宮さんですが、会社員時代に辛いことはなかったのでしょうか?
第二部では、大きな会社で“給食管理”や“病態栄養”をやっていた時代を改めて掘り下げるところからはじまります。ご期待ください。