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《栄養士☆成功事例インタビュー》管理栄養士 椎橋聡子さま 【ワクワクする気持ちを大切に会社設立!!】第一部
2016年11月02日
《栄養士✩成功事例インタビュー》株式会社FoodSmile代表取締役 椎橋聡子さま “ワクワク”する気持ちを大切にして会社設立!!
~食を通して多くの人に感動を与えたい、という想いで独立起業を果たすまでの道のりとは(第一部)~
栄養士✩成功事例インタビューの第5回目は株式会社FoodSmile代表取締役・椎橋聡子さんにご登場いただきます。椎橋さんが2013年12月に登記・起業した株式会社FoodSmileは、管理栄養士・栄養士の知識を活用し、食・健康シーンでの様々な社会問題をサービスや仕組みで解決することをミッションとしている会社です。
管理栄養士の仕事と、代表取締役として会社を運営していく経営者の一面を両立させている椎橋さんが、なぜ独立・起業して会社を立ち上げたのか、今回はそのあたりを重点的に聞いていきます。何が椎橋さんを独立・起業へと駆り立て、会社設立を決心させたのか、そこに至るまでの道のり、そしてそこにある椎橋さんの想いとは――。いま、仕事や職場環境などで悩んでおられる読者の皆さんには、きっと勇気づけられるようなお話が満載です。ご期待ください。
※今回も学習院女子大学名誉教授の江口泰広氏とショクライフ麦島健生との対談形式でインタビューを行いました。臨場感を大切にお届けしたいと考え、対談形式の構成となっております。
起業したきっかけとは・・・?!
江口先生:
まず、株式会社Food Smileではどんな仕事をしているか、お聞かせください。
椎橋さん:
「管理栄養士のナレッジを使って、食・健康シーンでの様々な社会問題をサービスや仕組みで解決すること」を目標に事業を展開しています。
管理栄養士が食のシーン・健康シーンで力になれることはいくらでもあると感じますが
まだまだ世間一般には「管理栄養士って何ができるの?」とか「病院にいて給食を作っている人だよね?」と言った決まったイメージしか残念ながらありません。
また、今までの管理栄養士を含む専門職の人たちは、「制限」することばかりに
集中していたように思います。
私は、今は非日常である管理栄養士の存在を、10年後20年後には一般生活者にとって
身近(日常的)な専門職になって欲しいと願っています。
そのために、従来の管理栄養士のイメージを払拭したり変えたりできるように
難しいことを面白く伝えるコンテンツを作ったり、
管理栄養士ってこんなこともできるといった、新しい切り口で営業をする等、工夫をしています。栄養情報や健康情報をわかりやすく・楽しく伝え、1人でも多くの人にそのメッセージが届き、気づきに変わる。
こういったサービスを作っていきたいと思っています。
江口先生:
具体的にどんなことをするのですか?
椎橋さん:
例をひとつあげると、今年弊社でリリースした「カロリー計算・栄養価計算センター」があります。食品表示法が変わり、平成32年3月末には包装されている食品は、すべて栄養成分表示が義務化される、ということをヒントに作ったサービスです。
また、私がフリーランス時代にも感じていたこととして
栄養価計算を管理栄養士(栄養士)ができることを知っている人が少ない、ということもサービスを立ち上げたきっかけの一つです。
栄養価計算をしたいと思っている人はたくさんいても、誰に頼むべきかわからず、そのまま依頼できずに終わっている人を多く見てきました。
そんな時に「栄養価計算と言えば管理栄養士!」とすぐに紐づくようなイメージ作りが
できれば、新たな管理栄養士の職域として確立できますし
また、外食産業を含めたフード業界に、管理栄養士の知識が必要とされ、生かされるようになれば、一般生活者の食も変えることができる=健康や食への意識の変化をもたらし、1人1人の健康力の向上につながるのではないかと考えたからです。
江口先生:
そうか、市場は希望に満ち満ちているというわけですね。
椎橋さん:
他にも栄養士の知識を活かして、雑誌やWEB、メルマガ等にコラムなどを執筆したり、コンテンツの開発や監修といったこともやっています。
◇会社にしてできること
江口先生:
いや、仕事がたくさんあって、売れっ子ですねえ。それだけ仕事が来ていれば、会社をつくろうという気になるのも納得ですが、その伏線というか、会社にしてもやっていける、と思ったきっかけとかはあったのですか?
椎橋さん:
仕事があるから会社にしてもやっていける、と思った訳ではなく、
管理栄養士の資格を使った仕事をもっとたくさんの人に提供するにはどうしたらいいのか?と考えた時に、個人事業主ではなく会社(組織)として仕事を行った方が
多くの人にアプローチできるのではないかと思ったからです。
起業前の約1年半はフリーランスとして活動していましたが、フリーランスといってもアルバイトの掛け持ちのような働き方で、自分主体で動くことができていませんでした。
私は元々、自分の祖父が病気になったことがきっかけで栄養士を目指した訳ですが、
その経験の中で、日常生活の中における食の重要性に気づき、食・健康シーンで多くの人に楽しみや感動を与えたい、という想いが自分の中に芽生えました。
ですが、フリーランスだと仕事がすべて自分ありきになってしまい、できる範囲が一馬力の仕事に限られてしまうことが悩みでした。
その働き方だと多くの人にアプローチすることができないと思ったので、会社(組織)にして、仲間を増やし自分がいなくてもサービスや仕組みが独り歩きして、食・健康シーンに貢献できるものを作り出したいという想いで会社を立ち上げることにしました。
江口先生:
椎橋さんが栄養士になったのは、おじいさんの病気がきっかけだったんですね。そのあたりをもう少し詳しく話していただけますか? そこが椎橋さんの栄養士としてのスタートだということですから、大変興味があります。
椎橋さん:
はい。食べる事が大好きだった祖父が病気になり、病院で「あれもダメ、これもダメと制限ばっかりされて帰ってきたんです。ある日、祖父の家へ遊びに行ったら、暗い台所で白湯を飲んでいる祖父を目の当たりにし、どうしたの?と聞いてみると「病院で何でもかんでもダメダメ言われて、何を食べていいかわからない」と、すごく落ち込んでいる祖父がいました。
それを見て私は、「医者は制限することはできるけど提案ができないんだ」と強く感じたのを覚えています。制限するのは簡単だけど、プロであれば難しい状況でも何とかベストな提案をすることが大切なんじゃないか?と思い、だったら私が困っている人も笑顔で食が楽しめるような仕事をして、当たり前のように世の中にある「不都合」や「負の部分」を解決できるようなサービスをしたいと思ったのです。
それが栄養士の道に進んだきっかけです。
江口先生:
それは椎橋さんがおいくつのとき?
椎橋さん:
二十歳の時です。もともとは体育教師を目指していましたが、受験の失敗や祖父の病気をきっかけに方向転換をし、栄養士になることにしました。
江口先生:
なるほど、人生の転機が二十歳のときにあったのですね。そのきっかけとなったのがおじいちゃんの病気というのは、大きなことでしたね。
江口先生:
それまではとくに食については意識してなかった?
椎橋さん:
体育会系女子でしたから食べるのは好きでしたけど、健康という視点では特に意識はしていませんでした。やはり祖父の病気があったから、食を大きなテーマとして捉えることができましたし、社会的なミッションも感じました。
江口先生:
いやあ、優等生ですね。二十歳でそんなことを考えるなんてありえないですよ。
椎橋さん:
祖父の病気をきっかけに、人の命に関わる仕事をしたいと考えた時、選択肢は3つありました。栄養士と救急救命士と看護師です。最終的に栄養士を選び今に至りますが、食の世界は広く、勉強しても無限に学ぶことはあるので大変ではありますが、裏を返せばそれだけ繋がれる環境がたくさんあるということなので、栄養士を選んでよかったなと思っています。
ですが基本的には場当たり的な行動が多いので、
計画性よりも自分の気持ちに忠実に自由に行動した結果が、たまたま今であり
人と運に助けられてきています。
椎橋さんの(第一部)はここまで・・・
第一部では、椎橋さんが栄養士になったのは、おじいさんの病気がきっかけだったこと。そして、その時に抱いた想いを実現するために、会社をつくった、というお話を伺いました。
会社設立の際は、具体的な計画性はなかったとしても、そこには“食で困っている人を助けたい”“食で多くの人に感動を与えたい”といった溢れる想いがありました。そして、それを実現するためには、フリーランスでは限界がある、と感じたからこそ、会社という組織にして、ビジネスの仕組みをつくった椎橋さん。もっと大きなものを、より多くの人々に広げていきたい。そんな思いから立ち上げた椎橋さんの会社「FoodSmile」は、今は小さな会社ですが、これから賛同者もどんどん増えて、大きく成長していくのではないでしょうか。
第二部では、今一度椎橋さんの経歴を紐解き、栄養士の資格取得後、どんな職場でどんな仕事をしてきたのか、といった会社設立に至るまでの道のりを振り返ります。