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《栄養士☆成功事例インタビュー》管理栄養士 椎橋聡子さま 【ワクワクする気持ちを大切に会社設立!!】第二部

2016年11月10日

栄養士✩成功事例インタビューの第5回目は、株式会社FoodSmile代表取締役・椎橋聡子さんです。
第一部では、椎橋さんが栄養士になったきっかけが、おじいさんの病気だったこと、
また、その時に抱いた想いを実現するためには、フリーランスでは限界があると感じたので、
会社をつくった、というお話を聞かせていただきました。

食べることが大好きなのに、病気になって病院から厳しい食事制限を課せられ、落ち込んでしまったおじいさんを見て、
病院の先生は制限はできても提案までしてもらえないんだ、と思った椎橋さん。だったら自分が勉強して、そんな病院の不都合=負の部分をなくせるようなサービスをつくって、
「食で困っている人を助けたい」、
そして、「食で多くの人に感動を与えたい」と考えるようになりました。

そうした病院の負をなくすサービスをつくることは、
大きくいえば、「負をなくす社会の創造」という、
とてつもなく壮大な目標にもつながります。

そんな大きなものを動かして、多くの人々に広げていくためには、
フリーランスではなく、会社という組織をつくったほうがいい、という椎橋さんの考えに共感される方も多いのではないでしょうか。

では、第二部ではいま一度時間を遡り、椎橋さんがフリーランスになる前、
栄養士の専門学校を出てからの道のりを辿ります。
椎橋さんがどんな職場で、どういう経験をしてきて今に至ったのか、
興味深い話がたくさんありますので、ぜひともじっくりとご覧ください。

※今回も学習院女子大学名誉教授の江口泰広氏と
ショクライフ麦島健生との対談形式でインタビューを行いました。
臨場感を大切にお届けしたいと考え、対談形式の構成となっております。

●危機感を感じて転職を決意

江口先生:
おじいさんの病気がきっかけで栄養士になろうと思って、
まずは栄養士の専門学校に入ったんですよね。
そこを出てからは、どうしたのですか?

椎橋さん:
1年ほど病院で働きました。そこでは厨房から事務まで、
全部経験することができました。
普通は厨房と事務とで担当が分かれていることも多いのですが、
人手不足もあり仕事を全部やらないといけない職場でしたから、1年で一通りの仕事を経験することができました。

江口先生:
ああ、多能工だったんですね。それは良かった。
スペシャリストは1つのことしかできないけど、多能工でいくつものことをやれる人のほうが、引く手は数多ですよ。

椎橋さん:
はい。1年で幅広い仕事を一通りできたので、次は保育園に転職しました。

江口先生:
仕事って、最初がすべてなんですよ。最初の職場が厳しい条件で働いた人は、
それが基本になるから、次はどこへ行ってもたいていラクになります。
逆に最初が甘い職場だった人は、その後少しでも条件が厳しくなるとすぐ耐えられなくなる。
あのビートルズだって、最初はドイツで朝から晩まで演奏させられて、
ひどい職場で頑張ったからこそ、あれだけのスーパーバンドになれたんですよ。

椎橋さん:
私もいい経験ができたと思っています。
その後はなぜ保育園だったかというと、病院とは違う対象者に向けた食事の提供を経験したかったからです。
保育園では、手作りおやつから離乳食、昼食作り、発注などの事務など、
ここでも病院同様、一通りの業務に携わることができました。

病院では経験できなかった乳幼児食を経験できたことは、貴重な経験でした。
実際に子供の部屋に行って、食事の様子を見たりすることもできたので、
それぞれの発達段階での食事を確認することができました。

毎日生きた教材を目の当たりにできて貴重な経験ができたのですが
途中から転職を考えるようになりました。
転職を考えた理由のひとつは「危機感」です。
栄養士の現場は1人現場のところが多く、私の勤務していた保育園も1人現場でした。

モデルとなる先輩もいなければ、指導してくれる人もいない。閉鎖的な環境でもあるので、
ある意味自分でやらなきゃならないという、自立心は芽生える環境ではありますが、
果たして頑張って勉強してアウトプットしている日々の業務内容やクオリティは、一般社会の中ではどのあたりのレベルなのか?が知りたくなりました。
1人現場で完璧にできてるつもりが、実は世間一般で言うひどいレベルなのかもしれないし、
専門職の仕事以外の電話応対・パソコンスキル・コミュニケーションスキルも
すべて含めて
「現状のままで果たしてよいのか?」という危機感を感じたのを覚えています。

●前に進む力

江口先生:
それで、どうしたんですか?

椎橋さん:
まずは、自分のモノサシをつくろう、と思いました。
社会の中で自分の位置づけを図れるようなモノサシを。
そう思っているときに、前職のベンチャー企業が展開している、食の資格に出会いました。
まずはスキルアップも兼ねて、同じ食に関心がある人たちがいるところに出かけてみようと思いました。
ですが受験料が高くて、当時の栄養士の給料では厳しかったため受講を諦めたときに、たまたま求人募集が出ていたので、
直感で応募し、見事に採用されスタッフとして働くことになったのです。

江口先生:
入社のハードルは高くなかったのですか?

椎橋さん:
ちょうど大人数を募集をしている時だったので、時期的にもラッキーだったと思います。
今考えると、同期入社の人には優秀な方が多かったので、特技も華やかしい学歴・社歴もない私を雇用してくれたベンチャー企業には感謝しなくてはいけないと思います。

江口先生:
そのベンチャー企業には何年いたんですか?

椎橋さん:
約4年いました。初めて組織で仕事をしている、という実感が持てた職場です。毎日が新しい新鮮なことの繰り返しで刺激的な毎日でした。

でも、いわゆるOL経験が初めてだった私は、
初出社の日に「ドラマみたいな職場♡」と言ったみたいで、
それを聞いた直属の上司は「この子が1番に辞める」と思っていたらしいです。(笑)
ですが、同期入社が20人くらいいましたが、最年少でマネージャー職をさせてもらったり、最年少でも思いっ切りチャレンジさせてもらえる環境を用意してもらったので、今のベースはやはりベンチャー企業での経験がものを言っていると思います。

江口先生:
そこまで活躍したのに、なぜ4年で辞めたんですか?

椎橋さん:
管理栄養士を受験するためです。仕事をしながらの勉強が難しかったのと、
過去に勉強で頑張った経験がなかったので管理栄養士くらいは極めよう!という目標があったからです。

江口先生:
資格が欲しかったから、じゃなくて?

椎橋さん:
そうですね。資格が欲しかったというよりは、何か勉強で頑張れるものが欲しかったんです。部活は頑張ったんですが、勉強で頑張ったことがなかったから。

江口先生:
勉強は難しかった?

椎橋さん:
簡単ではなかったですね。
ですが、11月に会社を辞めて、年明けくらいから必死で勉強しました。
模試も受けられるものはほとんど受験しましたし、短期の集中講座もいくつか行きましたので、
人生で一番勉強を頑張った時期だったと思います。

江口先生:
ずっと椎橋さんのお話を聞いていて思うけど、前に進む、という意欲がありますよね。
向上心というか、自己成長への意欲をすごく感じます。

椎橋さん:
そうですかね。私は色々やりたいことがあるので、
やらないで後悔するのが嫌なんです。
自分の人生が終わる時に「あれをやっておけばよかった」とか、
「こうしておけばよかった」となるべく思わない人生を送れたらなと思っています。
何かを決めるときの判断基準の1つかもしれません。

江口先生:
それは、妥協はしたくはない、といった性格の問題ですかね?

椎橋さん:
う~ん、妥協はよくしますけど、、、
元気に生きているうちに世の中に何かを残したいという気持ちがあるかもしれません。
東日本大震災など、人はいつ死ぬかわからないという経験を目の当たりにして、毎日後悔がないように過ごしたいなと意識するようになりました。

江口先生:
いや、それはもう人生観だね。椎橋さんはいつもそんなことを考えているの? 僕なんか、人生について考え出したのは60歳を過ぎてからですよ(笑)
それまでは生活観しかなかったからね。
じつは、ピーター・ドラッカーがまったく同じことを言っているんです。
あなたの人生は、あなたが人に何て覚えられたいか、
あるいは、人からなんて呼ばれたいか、で決まる、とね。

椎橋さん:
私は有名になりたいという考えはまったくないんですけど、
何かを残したいという気持ちは強いかもしれませんね。
あとは、管理栄養士の道へ進むきっかけとなった祖父や、
大好きな祖母など、身内や周りの人から多くのメッセージを受け取り、
自分なりに感じたことをミッションとしてきちんと形にしようと思ったりもします。

椎橋さんの(第二部)はここまで・・・
栄養士の専門学校を卒業後、病院、保育園、そしてベンチャー企業と、椎橋さんの職歴を辿ってきました。
それぞれ1年、1年半、そして4年、と期間は短い、と言う人もおられることでしょう。
しかし、椎橋さんが1つの職場を辞めて次の職場へと移る際には、
必ず、やりたいことが明確にありました。
同時に、前へ進むという意欲や、自分を高めたいという向上心もあったことがわかります。
読者の皆さんの中で、今の職場を辞めようか、と悩んでいる方がいらっしゃいましたら、
椎橋さんの転職事例はきっと参考になることでしょう。

第三部では、ベンチャー企業を辞め、「管理栄養士」の資格を取得した椎橋さんのその後についてお話します。管理栄養士として、あるいはフリーランスとして、新たなスタートを切った椎橋さんの活動とはいかに。ご期待ください。