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《栄養士✩成功事例インタビュー》栄養士 若宮寿子さま 【「食」を「職」にする幸せ。栄養士という仕事に誇りを!】 ~キャベツの早切りをきっかけに、料理教室をスタート!(第三部)~

2017年02月21日

栄養士✩成功事例インタビューの第6回目は、栄養士であり、FCAJ認定フードコーディネーター/米国NSF HACCP9000コーディネーターの若宮寿子さんにご登場いただきます。
第一部では、若宮さんが「食」に携わるようになったきっかけにはじまり、栄養士の資格をとるために入った山脇学園女子短期大学(当時)での学生時代から、卒業後に就職した会社での会社員時代まで。第二部では、会社員時代のエピソードを中心とし、9年間の会社員時代を経て、出産のために退職。その後10年間は子育て期間に入ったこと、までのお話を聞かせていただきました。
会社員時代は給食管理とともに、会社が持っていた診療所で病態栄養も行うという、貴重な経験を積むことができ、調理の現場ではいじめられたこともあったようですが、ご本人は「いじめられていたことに気がつかなかった」と笑い飛ばします。その話しぶりからはさぞ充実した会社員時代が伺えますが、残念なことに出産のため退職。今なら産休をとって現場復帰する道もあったでしょうが、当時は出産するなら退職が当たり前、という時代だったといいます。
その後若宮さんは10年間の子育て期間に入りましたが、その間、仕事は何もしなかったかといえば、そうではなく、在宅で本人いわく「糸のように細い仕事」を続けていたそうです。
そして40歳になって料理教室を開き、そこからいよいよ若宮さんのサクセスストーリーがはじまるわけですが、それまで10年間も子育て期間に入っていた若宮さんがなぜ「料理教室」を開いたのか? そのきっかけとは? 興味深い内容の(第三部)をどうぞ。

※今回も学習院女子大学名誉教授の江口泰広氏とショクライフ麦島健生との対談形式でインタビューを行いました。臨場感を大切にお届けしたいと考え、対談形式の構成となっております。

【1】

江口先生:
10年間の子育て期間を経て、40歳のときに「料理教室」をスタートした、というところまでをお伺いしました。一体なぜ「料理教室」を? そのきっかけから聞かせてください。

若宮さん:
下の子供が3歳になる時点で、少し外に出て、料理を教える、というようなこともやってはいたんです。そしてあるとき、子ども会でお祭りがあったんですが、そこで焼きそばをつくるのにキャベツを切っていたんですね。私、キャベツを切るのが異様に速いんですよ。それまで仕事でやっていましたから。それを見たお母さんたちが、「どうして?」ってビックリしちゃって(笑)。わけを話したら、「外で教えているんだったら、私たちにも教えてよ」って言われたので、近所のお母さん3人ぐらいからスタートしたんです。

江口先生:
それはどういう形でスタートしたんですか?

若宮さん:
我が家でです。最初は月に2回、2種類でやろうと思ったんですけど、それは自分が大変だということに気がついて、月に1人1回、1種類でやってました。

江口先生:
キャベツ切りがきっかけで料理教室という事業のスタートが決まった、というわけですね。そこが面白いし、大事なポイントでもあります。能力は持っているだけではダメで、認知されないと発揮はできないんですが、若宮さんの場合はキャベツ切りでなにげなくプロの技量が出ちゃって、認知してもらえた、ということですね。

若宮さん:
たまたまでしたけど、それがなかったら料理教室もやってなかったでしょうし、いまの私もないわけですからね。

江口先生:
ただ、きっかけがあったにしても、そこから事業を興そう、とはなかなか普通はならないですよ。何もない人にはそういう発想もないですから。若宮さんの場合は、10年間の子育て期間中も細々と続いていた仕事の糸が、どこかでつながっていたんでしょうね。

若宮さん:
あと、きっかけというよりは、後になって振り返ってみれば、という話なんですけど、知り合いにアメリカ在住の科学ジャーナリストがいたんです。その方から、世界の科学情報を配信するから買わないか、と言われまして。私の場合は食や栄養に関する情報ということになるんですけど、個人だからお安くしてあげるよ、と。といっても、そのときの自分のお財布事情から考えると高いかな、とは思ったんですけど、家の中でやっていて社会との接点もないので、ずっとその科学情報を読ませていただいていたんですね。なので海外の情報が日本へ入って来たとき、私はその2、3年前にすでにその情報を知っていた、ということが度々あって。料理教室でも、メディアに出る前のことを私がやるので、そういう面でも生徒さんたちから信頼されていたようです。

【2】

江口先生:
“情報ギャップ”を利用していた、ということですね。また、知識を吸収しようという意識をずっと持ち続けて、実践していたのが素晴らしい。

若宮さん:
だからネイチャーの最新版の情報は常に把握していましたね。ただ、なんでもかんでもじゃなくて、その方が私の活動をご存知だったものですから、それに合うような情報を抜粋して送って下さっていたので、それがよかったんだと思います。

江口先生:
ネイチャーなんて言葉、普通の主婦からは出てきませんよ(笑)。料理もある意味科学の世界ですから、海外の情報を先取りするということは、それだけでアドバンテージになります。

若宮さん:
逆に、その方のおかげで、海外の情報を積極的に取り入れている有志が日本にいるよ、という私の存在を広告代理店に知っていただいて、じつは料理教室を始める前に、すでに広告などで料理情報を発信していたんです。ただ料理をつくるだけじゃなくて、栄養学の裏付けのある料理を、ということで。

江口先生:
それは10年間の在宅の中で?

若宮さん:
そうです。

江口先生:
細い糸でもなんでもないじゃないですか(笑)。

若宮さん
まあ、そうかもしれませんね(笑)。あと、PR会社とか、電通関連の仕事とかでメニュー開発とか、色々とやっていました。

江口先生:
じゃあ、在宅といってもかなりアクティブな在宅仕事だったんですね。

若宮さん:
後で知ったんですけど、その方は朝日新聞の記者をなさってて、日本人なので海外情報を日本語に翻訳していたのですが、専門用語を知らないと訳せないものでもちゃんと訳して下さってて。だから英語がそんなにできない私でも理解できたんです。その話を出版社の方にしたら、「うちの会社が法人でその情報を買ってました」ということもありました。つまり、雑誌が買うようなレベルの、その時々で一番ホットな情報を、私は個人で買って読んでいたという……。

江口先生:
それが大きかったんですね。それにしても、その「海外情報を買わないか」という話があったとき、どういう動機で買うことにしたんですか?

若宮さん:
当時は在宅栄養士をしていましたから、情報に疎いわけですよね。だからその話をいただいたときは「またとないチャンスだ」と思いました。安くしてくれる、って言うし、私の出せる範囲内でしたから、「そこは惜しまずにいこう」と。

江口先生:
そこはやはり“向学心”があったからでしょう。それがないと買わないですよね。勉強しとかなくちゃいけない、という気持ちがあったんですね。

若宮さん:
栄養の世界って、日進月歩といいますか、昨日のホントが今日のウソ、みたいに情報が変わっていきますから。たとえばフィトケミカルなんか、一昔前は食材の色なんて健康維持に関係ないという時代だったのに、今では健康に欠かせないアイテムですよね。そういうことがある世界なので、勉強はしていなきゃいけないんです。

【3】

江口先生:
そうか、情報がどんどん変わっていくことを体感していたんですね。そうすると、栄養の世界は、“情報産業”ともいえますね。そういう認識を持つことが大切だ、と。

若宮さん:
そう、情報をいち早く取り入れることが強みになります。私にはそれを勉強させていただく機会があった、ということでしょうね。その機会を、「私は家でやっているから、そこまでお金出さなくていいわ」と断っていたらそれまでだったかもしれませんが、私はなんか「それはもったいないな」と感じまして、「じゃあお願いします」と。
あと、山脇の科学の先生がこう仰ったことがあったんです。「いま食物繊維はカロリーがない、ということになっているが、分析技術が発達した頃、もしかしたらエネルギーが出るかもしれない」って。他のことは何も覚えてなくて、その言葉だけ覚えているんです。そういうのが好きなんですよね。「うわ~、なんかワクワクするなあ」って(笑)。

江口先生:
それは知らないことを知る、っていう喜びですかね?

若宮さん:
よくわからないですけど、とにかくワクワクすることが好きで。でも、今はまさにそのことが現実に起こっている時代だと思うんです。だから本をつくるときでも、皆さん「大変でしょ?」ってよく言われるんですけど、私はもう、レシピ構成をつくるときはワクワクするんですよね。寝る時間もないほど辛いんですけど、ワクワクしながら本をつくっている私って、おかしいですよね(笑)

江口先生:
それは「天職」ということですよ。それに加えて、絵心持っていらっしゃるんだから。

若宮さん:
そう、絵が好きなのはお得でした。料理の見た目とか、盛り付けとかは目に入るものですから。いまでも献立考えるときは、絵を書いてイメージしますね。

江口先生:
料理の世界は、“情報産業”であるとともに、“アートの世界”でもある、と。絵が好きな人って、観察力があるんですよね。

若宮さん:
それが料理だけではなくて、器などにもつながっていきますからね。プロの料理人で、お花を生ける方が多いのもきっとそのためでしょうね。

【4】

若宮さんの(第三部)はここまで・・・
出産のため会社を退職して、10年間の子育て期間を経て、40歳のときに料理教室をスタートさせた若宮さん。料理教室をはじめたきっかけが、「キャベツの早切り」にあった、というのは面白いし興味深い話です。
仕事ではなく町内会の集まりの中で、たまたま出てしまったプロの技がママ友の間で認知され、料理教室という事業のスタートに結びつく。偶然の産物とはいえ、何かしらの参考になる話です。
ただし、誰もがそうしたきっかけがあれば、事業を興せるのかといえば、決してそうではありません。よくよく話を聞けば、若宮さんは料理教室をスタートさせる前から、すでに広告などで料理情報を発信したりするような活動を行ってそうです。
第二部で、退職して子育てをしていた期間は、「糸のように細い仕事」を細々と在宅でやっていた、とご本人は仰っていましたが、なかなかどうして、実際は在宅といえどもかなりアクティブに活動なさっておられたようです。そうした下地があっての料理教室でしたからこそ、うまく軌道に乗ったと推測します。
また、そうして在宅でありながら広告代理店やPR会社と仕事ができたのは、知り合いの科学ジャーナリストから、雑誌社が法人で買うようなレベルの海外の情報を、個人で買って読んでいたから、という話も非常に大きなポイントといえます。
仕事を離れて家にいると、どうしても社会にふれる機会が減り、情報に疎くなります。一方、栄養学の世界は日進月歩、昨日のホントが今日のウソ、みたいな世界であるといいます。そのことを若宮さんは知っていたからこそ、多少の出費は惜しまずに海外の最新情報を買い続けました。そして、それを料理教室で活かすことで生徒さんからの信頼を得たばかりか、その科学ジャーナリストを通じて広告代理店の人にその存在を知ってもらえて、広告の仕事につながりました。
ここで大事なのは、退職して子育て期間に入っても“向学心”を持ち続けたこと、そして、最新情報を入手するための費用を惜しまなかったこと、ではないでしょうか。「栄養学は情報産業」でもあります。最新情報をいち早く入手し、在宅でありながらそれをうまく活かして仕事につなげ、料理教室という新たな事業もスタートさせた若宮さんのその後の人生は、第四部でもじっくりお聞きしていきます。ご期待ください。