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《栄養士✩成功事例インタビュー》栄養士・若宮寿子さま 【「食」を「職」にする幸せ。栄養士という仕事に誇りを!】 ~ママ友3人からはじまった料理教室が、ビジネスへと成長(第四部)~

2017年03月08日

栄養士✩成功事例インタビューの第6回目は、栄養士であり、FCAJ認定フードコーディネーター/米国NSF HACCP9000コーディネーターの若宮寿子さんにご登場いただきます。
これまでの第一部から第三部までで、若宮さんが「食」という仕事に携わるようになったきっかけから会社員時代、そして10年間の子育て期間を経て、40歳で料理教室をスタートするまでのお話を伺いました。

もともとは絵が好きで美大に入りたかったけど、美大を目指す人たちのレベルの高さに驚き、断念して山脇学園女子短大(当時)に入学した若宮さん。しかし、美大には行けずとも、絵が好きなことは料理の世界でもお得だったといいます。また、学生時代はVIP向けの栄養指導を実習できる機会にも恵まれ、そのことが卒業後に入社した会社でも役立ちました。

入社したのが自前で診療所も持っているような大きな会社だったので、そこで“給食管理”とともに“病態栄養”も診るという、大変貴重な経験を積むことができたのです。
そうした会社員時代を経た後、出産のため退職して、10年間の子育て期間に入りますが、その間も若宮さんは“向学心”を失わず、個人でお金を出して、知り合いの科学ジャーナリストから海外の最新情報を買い続けました。

そのことが広告代理店に伝わり、在宅ながら広告で料理情報を発信するなどの仕事をさせてもらっていたそうです。もし、読者の中に出産や子育てのためなどで家庭に入っておられる方や、何かしらの理由で仕事を離れている方がいらっしゃったら、ぜひ参考にしていただきたいと思います。

そしてあるとき、町内会の子ども祭りで、たまたま「キャベツの早切り」が皆の目に留まったことで、近所のママ友を集めて料理教室をスタートさせた若宮さんのその後とはいかに。今回も興味深い話が満載です。

※今回も学習院女子大学名誉教授の江口泰広氏とショクライフ麦島健生との対談形式でインタビューを行いました。臨場感を大切にお届けしたいと考え、対談形式の構成となっております。

【1】

江口先生:
会社を退職して10年間、「細い糸のよう」とは言いながら結構たくさんお仕事されていたようですね。その中で、「キャベツの早切り」がきっかけで料理教室がスタートした、ということですが、それはご自宅で、ですよね。

若宮さん:
はい。江戸川区の自宅なんですが、自宅と言いながらこれが仕事の柱みたいになっていって、そこでレストランやホテルのメニューコンサルティングをしたり、テレビなどのメディアの仕事もしています。

江口先生:
自宅のどこを使っていたんですか?

若宮さん:
キッチンとリビングです。3時間ほど前は家族が普通に食事をしていたところを、ワーッと片付けて、外の方が来てもいいようにキレイにして。

江口先生:
まさにオープンキッチンですね。

若宮さん:
それが逆によかったのかもしれないです。特別なものを使ってのお料理教室ではなかったから、等身大といいますか、同じ子どもがいて、同じことをしている主婦がお料理を習う、というかたちで。

江口先生:
いわゆる主婦料理ですよね。最初は何人からはじめたんですか?

若宮さん:
最初は同年代3人からです。その方たちと一緒に、子どもが受験のときは受験生のための料理、クラブ活動のときは夏バテしない料理を自分たちが中高年になったら更年期障害予防のための料理、そして高齢期になれば生活習慣病予防の料理、というように教えていって、それで終わるんだろうな、というイメージだったんですが、そこから次第に
生徒が増えていきまして、週何回かやるようになりました。

江口先生:
それをビジネスとしてやっていこう、と思ったのはどれぐらいからですか? というのは、近所の人を集めてちょっとした教室をやっている人は、世の中に結構いらっしゃるんです。しかし、それをきちんとビジネスでやっているところと、そうではないところとは大きな隔たりがありますから。

若宮さん:
それは申告です。申告をするかしないか、それから、主人の扶養を抜けるか抜けないか、5年ぐらいはとても悩みました。でも、ネイチャー(知り合いの科学ジャーナリストから仕入れた情報)のおかげで、仕事する相手は大企業が多いものですから、私がきちんと申告していないと、先方に迷惑がかかる、と思いまして。会社組織にはしないけど、個人経営者、ということにしたんです。

【2】

江口先生:
そこでこれはビジネスだという自覚ができたんですね。それがすごく大事なんですよ。

若宮さん:
そうですね、段々収入が増えてくると、お金の管理もしないといけませんからね。

江口先生:
税理士を雇ったりは?

若宮さん
最初の1~2年は自分で頑張って帳簿をつけていましたが、段々忙しくなってきて、人にお願いするようになりました。でも、最初に自分でやったのがよくて、レシートなんかも自分がつけやすいように分けて保存しますから、人にお願いするときも褒められます。「レシートの内容がきちんといい感じで整理されていますね」って。そりゃあ、そうですよ、私は自分でやってましたから、って(笑)。

江口先生:
じゃあ、ビジネスとなったのは45歳ぐらいからですか?

若宮さん:
そうですね。子どももある程度大きくなってきた頃ですね。子どもは2人いるんですけど、2人とも中学受験したので、結構ハードだったと思うんですけれど、それでもなんとなく過ぎていくものですねえ(笑)。だから、料理教室でも受験生のママの気持ちもわかってあげられて、受験の時期は料理のテーマを“受験生のための料理”にしたり――。

江口先生:
なるほど、そうやってどんどんテーマが入ってくるわけですね。

若宮さん:
ええ、あるテーマを掲げて、そこに落とし込んだり、絞り込んだり、といったことは得意です。ただ単に、季節の野菜を使う、というのなら誰でもできますが、そうではなくて、この時期にはこういうものが必要だ、というのをテーマに料理をつくるんです。自分が実際に親として、あるいは主婦としての経験がありますから、この時期には何が必要か、おのずとわかりますからね。

【3】

江口先生:
つまり、“生活・行動別メニュー”ということ?

若宮さん:
そんな感じですかねえ。下の子がすごく熱心にスポーツやっていたものですから、スポーツ栄養学の本を読んで、夏バテしないための料理を考えたりもしていました。そうやって最初の生徒のお子さんたちはみんな成人して結婚もして、立派になってます。学校の先生になったり、医療系に行ったり。その中で1人、調理人になった子もいますよ。

江口先生:
それはよかったですね。

若宮さん:
今年も医学部を受験するお子さんがいらっしゃるんです。だからもちろん受験生がテーマの料理もつくるんですが、受験生だけではなく、お母さんの気持ちも和らげるために、レンコンを使って、「見通しがいいように」なんてね(笑)。

江口先生:
ああ、そういうのも面白いですね。すると45歳でビジネスになって、それからは?

若宮さん:
今でもずっと同じです。自宅を使うのも変わらないです。ただ、今は外の仕事が多いので、月3回、1回10人ずつぐらいにしています。1回の人数を増やして日にちを減らしたんですが、足りずに月4回になることもあります。

江口先生:
アシスタントはつけずに1人で?

若宮さん:
アシスタントはつけました。最初は1人でやっていたんですが、外の仕事が増えてくると、これは1人ではとても無理だな、ということになって、1人だけ専属でアシスタントを雇って。あと、本をつくるときには、その都度お手伝いして下さるスタッフが何人かいます。ただし、レシピづくりはゴーストはいなくて、私ひとりで全部つくります。

江口先生:
その外の仕事というのが、本をつくったりだとか、メディアへ出演したりだとか、そういうことですね?

若宮さん:
はい。でも、あくまでも柱は自宅の料理教室でして、本のための写真も自宅で撮りますし、ときにはテレビなんかの撮影をここでやることもあります。その他に企業との仕事もありますね。

江口先生:
たいへん幅広くお仕事をされていらっしゃるようなので、次回のお話はそのへんからお願いしたいと思います。

【4】

若宮さんの(第四部)はここまで・・・
キャベツの早切りをきっかけにはじまった若宮さんの料理教室は、最初はたった3人からのスタートでした。若宮さんが40歳の頃のことです。
その後5年ほど、若宮さんは悩みに悩みました。料理教室をあくまで近所のママ友の集まりに留めるのか、それとも、ビジネスとして軌道に乗せるのか。しかし、次第に外の仕事が増えるにつれ、きちんとしないと仕事先に迷惑がかかる、と考えた若宮さんは、45歳頃を境に個人経営者として申告し、帳簿も最初は自分でつけていたそうです。
そして現在、料理教室は順調に成長し、外の仕事もますます増えて、帳簿は税理士に頼み、料理教室では専属のアシスタントを雇うまでになりました。さらに、何人かのスタッフを使って本もつくれば、皆さんもご存知のようにメディアへも出演。その他に企業との仕事もやっている若宮さん、その八面六臂の活躍ぶりは第五部でご紹介します。ご期待下さい。