ショクライフTOP > 栄養士の働き方 > 《栄養士✩成功事例インタビュー》栄養士 若宮寿子さま 【「食」を「職」にする幸せ。栄養士という仕事に誇りを!】 ~“責任感“と”健康”と“ビジネスパーソンとしての意識”(第五部)~
《栄養士✩成功事例インタビュー》栄養士 若宮寿子さま 【「食」を「職」にする幸せ。栄養士という仕事に誇りを!】 ~“責任感“と”健康”と“ビジネスパーソンとしての意識”(第五部)~
2017年03月16日
栄養士✩成功事例インタビューの第6回目は、栄養士であり、FCAJ認定フードコーディネーター/米国NSF HACCP9000コーディネーターの若宮寿子さんにご登場いただきます。
これまでの第一部から第四部までで、若宮さんが「食」という仕事に携わるようになったきっかけから会社員時代、そして10年間の子育て期間を経て、40歳で料理教室をスタート。さらに、その料理教室をビジネスとして軌道に乗せるまでのお話を伺いました。
その中でのポイントは、2つあります!!
1つ目は、料理教室をはじめるきっかけが、「キャベツの早切り」にあったこと。能力というものは、ただ持っているだけではダメで、誰かに認知してもらわないと発揮はできません。しかし若宮さんの場合は、たまたまですが、子ども会のお祭りで焼きそばをつくるためにキャベツを切ったら、その早さはママ友たちの目に止まり、「私たちにも料理を教えてよ」ということになって、近所の主婦3人を集めての料理教室がスタートしました。
ここで注目すべきは、若宮さんが退職して子育て期間に入ってからも仕事の糸を切らさなかったこと。家庭に入っても在宅で仕事を続けていたからこそ、料理教室をビジネスへと発展させることができたわけで、もし、若宮さんがその期間中まったく仕事をせず、普通の主婦に収まっていたとしたら、料理教室はビジネスにはならず、ただの近所の集まりで終わっていたと推測されます。
この仕事の糸を切らさなかった、というのがポイントの2つ目。
若宮さんはそのために、知り合いの科学ジャーナリストから海外の最新情報を身銭を切って購入し続けました。そうして得た知識を活かすことで、料理教室の生徒も増えていきました。また、その科学ジャーナリストを通じて、海外の最新情報をいち早く取り入れている若宮さんの存在が広告代理店にも伝わり、広告の仕事など、在宅ながら仕事の幅を広げることができました。
「料理の世界は情報産業だ」と言われます。栄養学も日進月歩、昨日のホントが今日のウソ、というような世界だといいます。そのことを若宮さんはよく知っていたからこそ、海外の最新情報を入手し、“情報ギャップ”を利用することで、料理教室もそれ以外の外の仕事もうまくいったようです。つまり、仕事の糸を切らさないことと同時に、“向学心”を持ち続けていた、ということも若宮さんが成功した要因に1つに挙げられるでしょう。
そして第五部では、若宮さんのこれまでの料理教室以外の仕事について聞いていきます。若宮さんが今のような売れっ子になるまでのヒントもここにあります。じっくりとお読みください。
※今回も学習院女子大学名誉教授の江口泰広氏とショクライフ麦島健生との対談形式でインタビューを行いました。臨場感を大切にお届けしたいと考え、対談形式の構成となっております。
【1】
江口先生:
前回は主に料理教室のお話を伺いましたので、今回はそれ以外の“外の仕事”について聞かせていただけますか。
若宮さん:
はい。そうやって料理教室をやっているうちに、あるとき、「三菱ライフサービス」という会社から、栄養士研修の講師依頼があったんです。主に料理の“盛り付け”、つまりビジュアルの研修です。お料理も見た目で売れるメニューをつくらないといけない、ということで。
江口先生:
それはどこの栄養士さん?
若宮さん:
その会社には200人ぐらいの栄養士がいらっしゃって、その方たちの研修です。工場が全国にあって、お昼だけて5万食つくるんです。他にも保養所やリゾートホテルなんかあって、びっくりするぐらい大きな企業でしたから、私なんか、と思ったんですけど、まあ、なんとかそれなりに講師を務め上げたら、その6ヶ月後に担当の部長さんから直々に連絡があって、「フードコンサルタントとして入ってください」と言われまして。それから足かけ5年ぐらい、フードコンサルティングをやりました。ほんとうに素晴らしい会社で仕事をさせていただきましたね。
江口先生:
その話が来たのはどこからですか?
若宮さん:
「トーマス アンド チカライシ 株式会社」ってご存知ですか?人材育成のためのホスピタリティセミナー等行う草分け的存在の会社です。最初はそこに依頼があったみたいですね。私は力石さんの会社とお仕事をしていまして、「三菱電機ライフサービスからこういう依頼が来ているけど、やってみない?」と力石さんの会社の方から言われまして。三菱ライフサービスさんからすると、「力石さんの紹介なら大丈夫だろう」と思われたようです。力石さんも素晴らしい方ですから、信用があったんですね。
江口先生:
それはよかったですね。
若宮さん:
ええ。各事業所の食数が多く、さらに大きい会社ならではの制約もあり、栄養士さん、調理師さんたちは、とにかく衛生的に数をこなすのに専念されていて、
美的、といった感覚が希薄でした。フードコーディネーターの資格を持っている方も
いたのですが、活かすことができなかったようです。だから私が、フードコーディネーターの資格を持っている人に対しさらに教育するといったかたちでしたね。
江口先生:
そこで若宮さんが持っていた絵心が役に立ったんですね。
若宮さん:
そうかもしれませんね。その頃はデジタルカメラになっていましたから、写真も自分たちで撮るんですが、なかなかスタイリングが難しいので、じゃあ、うちに来て勉強しましょう、ということで、自宅での雑誌撮影のたびに実習にきていただきました。 私、カメラマンにもたくさん知り合いがいますから、会社にお呼びして営業、企画等に関係する方々対象の写真教室を実施しました。あとは、コンサルティングをやりながら引き続き栄養士研修もやって、研修のプログラムを考えたり、色々なことをその会社の中心になっている人たちと一緒にやりました。大船に立派なテストキッチンがあったので、そこに通って5万食の基本となるレシピの試作をわーっとつくったりもしましたね。
江口先生:
江戸川区から大船まで通うのも大変ですね。
若宮さん:
いえいえ、距離なんかは全然気になりません。だって、そこの会社の人たちって、山手線に乗るように飛行機を使うんですよ。大船のテストキッチンにだって全国各地から栄養士が来ますから、それに比べたら私なんて……。
江口先生:
お話を伺っていると、その当時はものすごい仕事量だったようですが、そうすると、企業と一緒に仕事をする“ビジネスパーソン”という意識も必要になってきますよね。料理教室とは別に。若宮さんにそういう意識が生まれてきたのはいつぐらいからですか?
若宮さん
フードコーディネーターの資格をとってから、ですね。私、その資格がはじまってすぐ取得したんですが、その頃に自分の仕事が体系化できることを知ったんです。私のやっていることの柱は料理教室ですから、料理と消費者との行き来が常にあります。だから企業としては、私が「現実味のある料理をつくっている」という認識があったんだと思います。PR会社や広告代理店なんかもその点を買ってくれたみたいです。
【2】
江口先生:
そこも大きなポイントだと思います。ただ単に1人でやっていこう、というのと、ビジネスパーソンとして企業や組織の中で生きていこう、というのでは大きな差がありますから。
若宮さん:
そうですね。三菱さんと同時に、東京湾クルーズ船の「シンフォニー」というところにも、定期的に私の企画が出ていたんです。シンフォニーには2艘あるんですが、小さい方の「クラシカ」という船を貸切にして、通常2000Kcalぐらいあったフルコースを華やかさ、美味しさんを保って700Kcalに調整したヘルシー料理をお楽しみ頂くというような企画です。
江口先生:
それ、一回乗ったことありますよ。
若宮さん:
そうですか。そのときは“五感を癒す”というテーマで、視覚は大海原、聴覚はハーブの生演奏、味覚は口で食べて、それからアロマの先生に来ていただいて、嗅覚や触覚も。そんな企画をやったりしました。その当時のシンフォニーの料理長が、いまは総料理長になっていて、いまだに声をかけてくださいますね。
江口先生:
それはどういうお声がけですか?
若宮さん:
たとえばアレルギー対応ですね。これは10年ぐらい前に、修学旅行の生徒さんの中にアレルギーの子がいて、どうすればいいか、という相談がありまして、料理長っておっかないんですけど(笑)、これからはそういう対策もきっちりやっていかないといけませんよ、って1人で立ち向かいまして。そのときに料理長はその技術を覚えて、うまく発展してくださったんですが、その後10年も経つと社員も入れ替わりますから、改めて厨房内だけでなく 予約センター、サービスの方々を一斉に教育するというので、つい先月ですが、3日間をかけ 社員を集めて研修を行いました。
江口先生:
そういう仕事をやりながら、料理教室の方も続けてらしたわけですね。
若宮さん:
そうなんです。料理教室の方は生徒さんの年代が20代から70代にまで広がっちゃって。最初の予定ではママ友だけで終わるつもりでしたから、そろそろ骨粗鬆症予防とか、老人食をテーマにしたいところなんですが(笑)。いまはOLさんだったり、妊婦さんに教えたりもしています。
【3】
江口先生:
妊婦さんというと、また専門的な知識が必要になりそうですが。
若宮さん:
はい。その間に、妊娠してすぐ読む本ということで「妊すぐ」、それから、赤ちゃんができてすぐの「赤すぐ」という雑誌があるんですが、そこで6年間、料理の連載を持っていたんです。連載が終わると1冊の本にしていただきましたから、妊婦さんの妊娠中の食事と、赤ちゃんの離乳食のエキスパートみたいになっちゃったんです(笑)。
江口先生:
それは三菱ライフサービスにいたときと同時期に?超ハードでしたね。
若宮さん:
ギリギリでしたけど、なんとかできちゃうんですよね(笑)。ですから、「食」を「職」に、って言ってますけど、「食」って、生まれたその日から亡くなるまで、ずっと必要なものですから、「食」に携われたことは、誇りに思いますね。
江口先生:
まさに“命の仕事”ですよね。
若宮さん:
そう、その“命の仕事”をさせていただいていたのが、なぜかある日、ビジネスとなったわけですけど、ビジネスとしてやるからには責任を持たないといけません。あと、1人で動いているものですから、健康管理にも気を使います。私が倒れたら多くの人にご迷惑をかけてしまいますから。
江口先生:
“責任感”と、“健康”ですね。
若宮さん:
ほんとうに、責任感イコール健康ですよ。幸い、今まで穴を開けたことはないですけどね。私、風邪をひいたことがないんです。だけど、3日間休みがあると、急にノドが痛くなったりします(笑)。家族もわかっていて、「今日から3日間休みだよ」っていうと、「やばい!」って言います(笑)。休みの間に熱を出したりすることが多いのを知っているんです。
江口先生:
そいうふうに体ができているんだ(笑)、では、栄養管理はどうしているんですか?
若宮さん:
食べることです(笑)。栄養士って、得なんですよ。その時々の状態に合わせて、どれとどれを食べればいいか、とか、これを食べておけば最低限健康でいられる、といったことがわかっていますから。たくさん食べるのではなく、効率よく食べることができるんですよ。
一同:
なるほど(感心)。
【4】
若宮さんの(第五部)はここまで・・・
前回までで料理教室の話を伺いましたので、第五部では料理教室以外の、“外の仕事”について話をしていただきましたが、聞けば聞くほど、とても多くの仕事をされていたことに驚きました。しかも、全国に工場や保養所やリゾートホテルを持ち、昼だけで1日5万食も出るような大きな会社でフードコンサルティングや研修の講師を務めたり、クルーズ船のフルコースのメニューを企画するなど、仕事の相手はどれも大企業や一流会社。さらに、ときを同じくして雑誌の連載も持っていたといいます。それらを料理教室を続けながらおこなっていたわけですから、その当時の仕事量は想像を上回るものがあったと推測できます。それでも、今までに一度も穴を開けたことはない、という若宮さんの“責任感”と“健康管理”が、ハードな日々を支えたといっても過言ではないでしょう。そしていよいよ次回、最終回では、まとめとして、これから栄養士を目指す人たちへのアドバイスとなるようなお話をしていただきます。ご期待ください。